北海道 旅と本

種村直樹『北海道気まぐれ列車』(SiGnal ,2004.7) 10月13日(水)

著者は鉄道ファンであれば知らない人はいないだろうが,本格的に著作を読むのは本書が初めてとなった。本書には著者が学生時代の1955年から1994年まで6編の紀行文が収められている。もと新聞記者だったというだけあって文章はしっかりとしており,安心して読み進めることができた。
読んでみて,著者は同じ鉄道ファンいえども自分とは正反対の性格であることがわかった。どの紀行においても複数人で賑やかに旅行しており,旅先では出会いに満ち溢れている。私など一人旅が常で,誰とも会話せずに1日を終えることも珍しくないから,楽しく出会いの多い旅はうらやましく思う。と同時に,世の中みんながこのようなあつかましい人ばかりだったら立ち行かないのではないかと思ったりもする。かといって私のように極端に会話を避けるのも他人から見ればつまらない空気人間であろう。本当はその間を行くのが望ましいのだと思うが,なかなか難しいことである。あまりに消極的な自分を省みて,生き方までも考えされられる読書になった。

 

「財界さっぽろ11月号臨時増刊号 HO Vol.1」(財界さっぽろ,2004.9) 10月13日(水)

「漁師の宿」「農家のレストラン」「温泉クラシック」の三大特集からなるが,メインは「温泉クラシック」だろう。定山渓,洞爺湖,登別の温泉が明治期〜昭和30年代の単色写真で紹介されている。「源泉の湯」一辺倒の最近の温泉本の中にあっては斬新な特集である。
最近はとかく洞爺湖,登別などの大衆温泉地に対して厳しい意見が多く聞かれるが,往時の貫禄ある温泉街の写真などを見るとやはり類まれな名湯なのだということを感じる。温泉はたしかにお湯も大事だが,大温泉地特有の雰囲気もそれはそれで良いものだ。それにしても風情あふれる木造多層の旅館建築に比べて,鉄筋コンクリートの建物のなんと味気ないことか。老朽化や法的な問題もあったのだろうが,昭和30年代以降ことごとく建て替えられてしまったのは惜しまれる。

 

大原利雄『誰も行けない温泉 命からがら』(小学館文庫,2002.12) 10月13日(水)

秘湯といってもこれはちょっと度が過ぎており,温泉ガイドとしてはほとんど役に立たない。ガスマスクをつけて入浴している表紙の写真が印象的だが,なぜここまでして温泉に浸からなければならないのかと笑えてしまう。ただガスマスクは若干受け狙いもあるようで,紹介されている40か所の温泉のうち10か所はマスクを装着して入湯している。
道内で登場しているのは硫黄山温泉,岩の湯・ピラの湯,安政火口の湯,湯の滝温泉,ヤンベツ川の湯,ニセコ小湯沼,金花湯の7湯。硫黄山温泉がいちばんまともに見えてしまうのだからすごい。

 

宮本常一『民俗学の旅』(講談社学術文庫,1993.12) 09月29日(水)

著者のことは名前程度しか知らなかったが,柳田国男の系譜を引く正統派の民俗学者で偉い先生という印象があった。本書は著者の自伝であるが,読んでみると大変人のよい好好爺という感じがした。
郷里から大阪に出るとき父親から言われたという言葉が印象的だ。10項目からなるが,
「汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ」……いいことを言う。「三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ」……身にしみる言葉だ。
しかし大阪へ出ても「出稼ぎのようなつもりで都会生活」をしていたという。私も本家の長男でありながら転勤族になってしまったことを後ろめたく思っているが,こういう考え方もあるのかと勇気づけられた。
終戦前後の短期間,大阪府農務課の嘱託職員となり,北海道への集団帰農の斡旋に携わる。このあたりは更科源蔵の『滞京日記』とも内容が重なっており興味深い。帰農隊に付き添って問寒別や斜里を訪れるが,帰途青森への連絡船を待っているとき,入植地を見捨てて大阪へ帰っていく人から「だまされてえらい目にあうところであった」と聞かされる。「私が入植者を連れていったのだ」と言うと「罪なことをしたものだ」と言われたという。

 

近藤正二『日本の長寿村・短命村』(サンロード出版,1972.6) 09月21日(火)

お前の目標は何か?と聞かれたとき,「長生きです」と答えることにしている。他人に迷惑をかけることなく健康で長生きし,死ぬときにはぽっくりと逝くというのが誰しも理想とするところではないだろうか。
本書は古本のバーゲンでたまたま見つけたのであるが,「長寿村・短命村全国地図」というのが興味深かったので購入した。はじめは少々胡散臭さを感じたのだが,とんでもない。著者は東北大学の医学部長を勤めた高名な先生である。長寿食についての原典としてロングセラーになったようで,版をいくつも重ねた後,1991年には新版が出版されている。
地図によると北海道の長寿村は利尻島の仙法志,鬼脇,天売,歌棄,貝取澗,短命村は焼尻,興部,下川,東川,津別,阿寒,西足寄,河西,大滝,鹿部,臼尻,尾札部,椴法華,尻岸内,戸井,知内,奥尻(球浦を除く)となっている。日本海側は貧村が多いと言われてきたが,貧村だから短命ということはないらしい。奥尻島で球浦だけ長命なのは,この集落だけ畑を作っていたからだという。
著者は全国津々浦々の集落へ何度も足を運び,長命・短命の原因を調べている。やはり食生活の影響が大きいようだが,さらにその背景にある習慣や言い伝えにまで考察を深めている。
結論として長生きのためには,まず野菜を食べること。特に海藻がよい。また大豆も不可欠。魚ばかり,米ばかりだと短命になるということである。今では当たり前に思われるが,その頃は「男が野菜を食べると笑われる」などという風習もあったようだから,この結論は革命的だったはずだ。
著者は調査のため1年の半分近くも旅暮らしをしているが,旅館の食事は量が多いので一度に食べず,容器に詰めてもらって移動中何度かに分けて食べることにしていたという。また野菜不足を補うため,カバンには人参とおろし金を必ず入れておいたという。我々も旅行するときには見習いたいことである。
昨今は旅先で美味しいものを食べることばかりに熱心な旅行者も多いが,考えてみればこれは自分で自分の健康を害していること。私もホテルのバイキングでは元を取ろうとしてつい食べ過ぎてしまうほうだが,バイキングというのはむしろ,残す心配をせずにちょうどよい量だけをいただけるシステムだと考えることにしたい。

 
 

牛山隆信『秘境駅へ行こう!』(小学館文庫,2001.8) 09月20日(月)

鉄道趣味界に「秘境駅派」という一大流派を生み出した,牛山氏の著作である。著者自身,秘境駅に興味を持ち出したのは1999年になってからだというが,同名のウェブサイトを立ち上げたのが1999年10月15日。それから2年足らずで本まで出してしまったのだから,すごい話である。
実は当サイトもほぼ同じ時期に立ち上げており,アクセス数も拮抗していたことから,著者に対してはやや対抗意識を持っていた。扱っている対象も類似しており,内容も引けを取っていないと思っていた。しかし著者のほうが世間受けしたのは,やはり「秘境駅」というこれまで人の考え付かなかった概念を生み出し,秘境に徹底的にこだわったからであろう。私はどちらかというと秘境の側で育った人間だから,秘境と言われることに違和感があるし,秘境駅であってもそこに駅があるということは,過去に人が生活していた歴史があるはずであり,何もないことを面白がるよりはむしろその駅の歴史に光を当ててみたいと思うのである。
北海道の駅で本書に登場しているのは小幌駅,張碓駅,上雄信内駅,智東駅,古瀬駅,初田牛駅の6駅である。小幌駅では現役の仙人の住処の写真を載せてしまう。張碓駅へは線路横断禁止の看板を無視して到達する。上雄信内でも結局線路を歩く。智東駅では営業休止中の駅で駅寝をする,初田牛駅ではそう遠くないところに人が住んでいることを無視して「何もない」と言い放つ……その勇気には感服する。
ともあれ,鉄道ファンの中でもマイナーな存在だった駅巡りという趣味が本書によって世間に認知されたのは素直に喜びたい。ただ残念なのは,本書で秘境駅を知った人たちが,安易に車で駅を訪れていることだ。車を寄せつけない駅というのもあるので,それはそれで貴重な体験になるのだが,駅は列車利用者のためにあるということを忘れないでほしい。

 

更科源蔵『熊牛原野』(広報新書,1985.10) 09月19日(日)

著者が35歳に至るまでの自伝で,大きく4つの編に分かれている。
<原野に生まれて>
「寒い冬より夏の方がいやだった。私の家を出ると間もなく暗い森を通り,それから葦の深い湿地が二キロほどの間道をはさんでいた」
友人がいなかったこと,怖がりだったことなど,少年時代弱虫だったことを包み隠さず書いている。男というのは強くなければいけないと思っていたが,本当は弱虫なのだ。
著者は大正10年17歳のとき,東京の麻布畜産学校に入学するが,病のため同12年帰郷。この頃既に詩誌で入選するなど詩人としての活動を始めている。
<湖畔の村>
昭和5年(26歳),屈斜路尋常小の代用教員となる。生徒数わずか17名で,アイヌの子が多かった。
「日本の役所というところは妙な規則があって,私のほった判でもそれを押すと通るし,押さなければ受付けなかった。或るとき急ぎに間に合わせるのに消しゴムにほったが,それでも立派に物の役にたった」
当時は文字を読める人も少なかったから,手紙を代筆したり,役所に書類を出すのに判子までほってあげたりと,村人に頼りにされていた。生活は貧しかっただろうが,誰かに頼りにされるというのは素晴らしいことだ。現代は自分の存在価値を見出すのにも苦労する時代。このころのいきいきした暮らしをうらやましく思う。
<白い葦原>
翌年,思想事件に巻き込まれ,職を追われる。この年の冬,塘路で釧路の密漁監視にあたる。当時は「いぶし銀の鮭」を狙った密猟者が多くあったという。
<落葉日記>
昭和9年(30歳),弟子屈で印刷業を営むが思想事件に巻き込まれ,特高の取調べを受けたことから市街にいられなくなり,同11年(32歳)酪農業を営む。昭和14年,はなゑ夫人が肺炎で急死するところで本書は終わる。
「その翌年の春私はまだ,墓標のように木の株の立ち並ぶ開墾地に別れて,どんなことがあっても決して住むまいと思った街へ,娘の手を引いて彷徨に出た」
以後札幌を拠点とした活躍は周知の通りである。
 
月給とりで平々凡々とした年月を過ごしている今の自分を省みて考えさせられることの多い読書となった。

 

松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』(光文社新書,2001.12) 09月18日(土)

温泉ゼミナールといっても,泉質別に効能を紹介したりするわけではない。循環風呂,加水,塩素混入,天然温泉の虚偽表示,くみ上げ過ぎによる温泉資源の枯渇などの問題を,実例をあげながらひたすら説いていくという内容である。
著者は1998年1月から1999年9月にかけて日本全国2500湯入湯の旅を実行している。旅を終えた後,新聞,雑誌,講演などを通じて加水循環,塩素混入などの問題をさかんに世間に警告するようになる。その集大成が本書である。衆目をスーパー銭湯風の日帰入浴施設から「源泉かけ流しの宿」「本物の温泉」へと向けさせることになった,記念碑的文献といって良いだろう。
2004年夏の長野県白骨温泉の入浴剤混入事件以降,偽りの温泉がテレビのワイドショーなどでも大きく取り上げられたが,本書を読んでいれば何も驚くことではない。騙されたのだから入浴料を返せと言ってるような人は,そう怒らずにまず本書を一度読んでみることだ。

 

和野内崇弘『北海道の宿題』(海豹舎,2004.1) 09月18日(土)

書いてあることはその通りなのだが,読み終わってみるとあまり印象に残ることがなかった。はしがきに「道内マスコミはヨサコイ批判ひとつできない・・・」とあったので,ヨサコイの痛烈な批判を期待したが,その後まったく触れられていなかったのは残念。高速道路推進論の一方,池北線を擁護しているのは意外だった。
ただ,読んでみて一つわからないのは,観光客の人格をまったく無視していることである。とりあえず観光地の質を上げれば,観光客がやってくるというような論調であるが,これは,とりあえず広大な土地があるので工場が誘致できるだろうという苫東の発想と同じである。人は何のために観光するのかという点をまず検証し,そのためのフィールドとして北海道に何が求められるのかという話しの持っていき方をしなければならないと思うのだが。その点で時計台移転論には疑問を持った。記念写真を撮るために100年以上その場所にあるものを移転させようというのは,観光というものを少し軽く考えているのではないだろうか。
いちばん印象に残ったのは,あとがきの「北海道庁,北海道開発局,北海道電力,JR北海道,ホクレン,北海道大学,北洋銀行などに良い意味でのリーダーシップを発揮してもらいたい」という言葉である。「北海道を悪くしているのは道庁と道新と北大だ!」と言い放った偉い先生がいたが,これらは容易に変りそうもない。かといって,下剋上的にこれらの組織をのっとる人たちも出てきそうにない。
ところで,全編にわたって編集人である館浦海豹氏の意見が色濃く反映されているにも関わらず単に”和野内崇弘著”としたのはやはり失敗でなかったろうか。

 

舘浦あざらし編『あざらしくんのいい旅談話室』(あざらし文庫,2003.4) 09月18日(土)

「北海道いい旅研究室」に寄せられた読者の葉書を紹介し,それに編者がコメントをつけるという単純な構成であるが,舘浦氏の手になる本の中では最高傑作だと思う。「北海道いい旅研究室」や『北海道の宿題』は読んでいるところを人に見られたくないが,本書だけはこそこそせずに人前で堂々と読書できるような気がする。
内容とはまったく関係ないのだが,この本を読んで非常に複雑な気持ちになった。実は,高校の同級生が2人登場しているのだ。1人は温泉モデルで,もう一人はコラムに記事を寄稿している。彼女たちの活躍ぶりを見ると,自分がすごく小さく感じてしまう。私も北海道への愛着は人一倍強いほうだと思っていたし,少なくとも同世代の人たちの中では北海道のこと,温泉のことなどかなり詳しく知っているほうだと思っていた。しかし,同級生の中にずっと上手がいたのだ。旭川の高校だったのだが,旭川の人というのは旭川以外のことを何も知らないと,当時から同級生たちを少し見下して思っていたところがあったのだが,実は自分以上に北海道に愛着を持っていた人がいたということに今さら気がついたのである。高校,大学の同級生のほとんどが道外に就職する中で,私は北海道に残る道を選んだ。負けずに頑張らなくては。

 

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