昭和・北海道地図資料館

最新調査北海道精図

大正15年(昭和元年) 小島大盛堂

2002年に札幌の石川書店で購入。3000円だったと思う。小島大盛堂は函館の会社。大正3年初版で,大正15年1月5日訂正17版となっている。若干汚損しているが,印刷は美麗。北海道本図のほか,札幌,函館,旭川,小樽の詳細図がついている。
「昭和・北海道地図資料館」と題しておきながらなぜ大正の地図が出てくるのかと疑問の方もあろうが,この年12月25日に大正天皇が崩御あらせられ,元号が昭和に改められた。大正15年=昭和元年ということでお許し願いたい。


編纂の趣旨
立派なことを書いてある割には,いいかげんな地図である。この時代としては仕方がない。


凡例
「屯田兵村」「戸長役場」「師団司令部」「駅逓所」など北海道らしい言葉が見える。


縮尺
魚をかたどっているのは遊び心がある。単位は「日本里」。


稚内周辺
宗谷本線がまだ全通していない。幌延〜兜沼間の開業はこの地図が出てまもなく大正15年9月25日に開業している。幌延から先の予定線のルートが違っている。

赤のメッシュは殖民区画を示している。一般的な開拓者はこの区画が設定された場所に入植すると無償で土地の貸与を受けられ,10年以内に成功検査に合格すれば無償で土地の譲渡を受けられた。空知,上川,十勝などの条件の良い土地は明治のうちに入植者で満杯となったが,このサロベツ周辺の殖民地にはまだいくらも人が入っていなかったはずである。問寒別川上流にも殖民区画が引かれているが,ここに人が入ったのは終戦後のことで,引揚者や復員者がだまされるようにして連れてこられ,戦後に至ってもほとんど縄文時代と変わらない掘っ立て小屋で開拓にあたったという。今の地図と重ねてみると,これらの殖民区画からはずされたところが国立公園に指定されたことがわかる。

天塩川河口付近に今はない湖がある。サラキシ湖といい,昭和7〜8年に干拓工事が行われ農地化された。のちの羽幌線には「干拓」という仮乗降場があった。

+に○印は駅逓を示している。駅逓は北海道独特の制度で,開拓地の宿泊・運送などに重要な役割を果たした。海岸線,内陸の開拓ルートに沿って多数の駅逓が置かれていたことがわかる。


札幌市内詳細図
北大構内に川が流れている。サクシュコトニ川といい,植物園を源流としていたが,市街化によって枯れてしまった。一部埋め立てられて跡もわからなくなっていたが,北大125周年を記念して近年一部再生された。

赤の線は路面電車。このとき既に札幌電気軌道株式会社が電車を運行していた。翌昭和2年に市営となった。

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