昭和・北海道地図資料館

三菱ドライブマップ

昭和43年 武揚堂

日本の自動車保有台数は,昭和42年度において200万台以上の急増を示し,この年1000万台を突破した。うち乗用車は409万台。マイカーを持つのもそれほど珍しいことではなくなった。高校を出ると多くの人が免許を取るようになり,私の両親が免許を取得したのもこの頃である。母の実家は農家であるが,母が家で最初の免許取得者となり,黒いクラウンを乗り回す娘として町では有名だったという。私が子供の頃はそのクラウンがまだあった。
表紙の絵も急に現代的になった。現代の地図と比較してもまったく古さを感じさせない。昭和43年という年は現代への一つの転換点だったように思う。日本経済の高度成長と団塊の世代の青春時代が重なり,世の中わけがわからなくなっていた時代だ。


表は1/800000の北海道全図と札幌市,室蘭市,函館市,苫小牧市,旭川市,小樽市,帯広市,釧路市の詳細図,右端には三菱石油の給油所一覧がついている。裏は東北6県と新潟県の地図。


旭川付近1/800000
図版は完成度が高く,いまの電子化された地図よりもむしろ滑らかで美しい。英語併記はかえって時代を感じさせる。
神楽町はこの年3月に旭川と合併,鷹栖村と東鷹栖村は翌44年1月1日に町制を施行した。地図には載っていないが,このときはまだ旭川電気軌道の電車が東川,旭山公園まで走っていたはずである。比布市街を雁行して通過している国道40号の旧道が見える。昭和39年に路線変更されたはずだが,この区間は今も旧街道の趣を残している。勇駒別(ユコマンベツ)温泉は昭和57年に旭岳温泉に改称した。


小樽市詳細図1/50000
手宮−札幌間の鉄道は北海道最初の鉄道として明治13年11月28日に開業した。以来小樽は室蘭と並んで北海道の石炭の積出港としての役割を担ってきた。地図には函館本線から分岐する貨物線が多く見えるが,石炭産業の衰退と共に廃止され,今では手宮線の線路が記念碑的に保存されているのみである。小樽築港機関区には函館本線山線の列車を牽引するための大型蒸気機関車がひしめいていたのだろうが,こちらも今は跡形なく,ウイングベイ小樽という巨大複合商業施設が建っている。
いろいろ無くなってしまったものの多い小樽だが,それでも街自体はそれほど活気を失っていないのが,小樽の偉大さである。

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