昭和・北海道地図資料館

共同石油ROAD MAP 北海道

昭和44年 武揚堂

 

この頃は石油会社が優れた道路地図を出していたようである。地図作成は前年の三菱ドライブマップと同じく武揚堂であるが,まったくデザインが異なり,武揚堂も丁寧な仕事をしていたものだ。なお共同石油は昭和40年設立で,1992年に日本鉱業と合併し,現在はJOMOとして全国にガソリンスタンドを展開している。


道北方面観光案内
地図の裏面は観光案内と共石サービースステーション一覧で,観光案内はかなり実用的に詳しく書かれている。「道北一周コースのドライブには砂利道の悪路を覚悟しなければなりません」という説明が時代を感じさせる。いまでは砂利道を探すことのほうが難しい。最近は砂利道を好んで走る人もいるが,さすがに何十kmと砂利道が続くと嫌になってしまうだろう。舗装とて現在のように滑らかではなく,あちこちに穴ぼこのあいた道だったと思われる。


占冠付近1/700000
占冠を十字に鉄道予定線が通過している。明治33年に設定された占冠の殖民区画図には既に駅の予定地が記載されていた。汽車が来ることを信じて人々は開拓に入ったわけだが,鉄道ができたのはそれから80年後のことだった。実際に建設されたのは東西に横切る石勝線で,今では札幌と道東を結ぶ大動脈として振り子特急が走っている。


歌登付近1/700000
雄武〜枝幸の線路が開通しているように書かれており,この地図では幻の「オホーツク本線」が現実となっている。実際には雄武〜枝幸はかなり工事が進んだものの列車が走る事はなく,雄武より南の興浜南線,枝幸から北の興浜北線ともに昭和60年に廃線となった。
小頓別〜歌登・志美宇丹を結ぶ歌登町営軌道も地図上では残っているが,この時点でもう歌登〜志美宇丹には列車が走っていなかった。美深と枝幸を結ぶ美幸線も仁宇布から先かなり工事が進められたが,開通することなく終わっている。結局残ったのは宗谷本線1本だけで,まったく寂しくなっている。

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