ニニウのこれから > 鬼峠ミーティング開催報告 > 5. 作戦会議

5. 作戦会議

20時25分,ドラマ「鬼峠」の上映が始まって間もなく,翌日の鬼峠越えの参加者が研修室に招集されて打合せが行われた。

これが予想外に紛糾し,話し合いは1時間半に及んだ。論点は山に不慣れなメンバーを含む取材班が同行するという状況で,未知の危険が潜む初代の鬼峠越えを敢行すべきなのかということであった。

鬼峠には2世代の道があったとされる。昨年のフォーラムで越えたのは,北側に大きく迂回する形で改良された2代目の道だった。今回越えようとしているのは初代の道である。

●冬山遭難とヒグマ

まずは隊長の細谷さんから峠越えについての所見が述べられた。

上りは行程が長くエスケープルートがないため,道を失った場合は同じ道を引き返すしかないこと,午後から天気が崩れる見込みのため,最悪遭難の可能性もあることが説明された。

撮影のため山に入る機会の多い門間さんからは,雪は思いのほか少なく,歩くと笹を突き抜けて笹の中に足が入る状態であることが報告された。また,雪が少ないので熊が勘違いして起きている可能性もあり,運悪く熊のねぐらを踏み抜いてしまった場合には非常に危険であるとの話も出た。

●ルートの不確実さ

初代の鬼峠は約80年前に廃道となっており,道の痕跡はほとんど残っていないと思われる。ただ地形図を見ると,ひたすら尾根筋を行く道となっており,尾根をたどっていけば,ある程度当時のルートと近いルートをたどることができると考えられた。

しかしながら,古い地形図の等高線は今ほどに正確ではなく,尾根をたどるといっても,まずたどるべき尾根を特定するのが難題なのである。

下は鬼峠の占冠本村側の登り口付近を新旧の地形図で比較したものである。左の地図は初代鬼峠,中央と右の地図には2代目の鬼峠が記載されている。中央と右の地図は,トンネル工事でルートが切り替えられた登り口付近を除いて同じ道を示しているはずだが,地図上での線形はかなり異なっている。歩いて測量するしかなかった時代にこれだけの地形図を作ったのはすごいことだが,やはり空中写真をもとにした現代の地形図に比べると,昔の地形図の精度は落ちる。大正8年の地図ともなれば現在の地図との違いはさらに大きくなる。

陸地測量部発行5万分の1地形図「右左府」
大正8年測図
国土地理院発行5万分の1地形図「日高」
昭和33年測量,昭和42年資料修正
国土地理院発行2万5千分の1地形図「ニニウ」
昭和49年測量,平成2年修正測量

※地形図はWebサイト内で3枚程度使用する限り測量法に基づく承認申請は不要である。

そこでまず,尾根や谷との位置関係を頼りに,現在の地図に初代のルートを落とし込んでいくという作業が必要になる。その作業の中で意見が分かれたのが,この登り口の部分だった。

3つの地図を一見すると,B=B'=B'で同じ谷を示しているように思われる。ところがよく見るとBの谷は小さくすぐ尾根にぶつかっている一方,B'とB''の谷は深く,尾根の北側奥まで入り込んでいる。B=B'=B''だとすれば,初代のルートは尾根にたどり着くために谷をまたぐはずだが,地図では谷をまたぐようには描かれていない。道が谷をまたがなかったとすれば,Aの谷がB'とB''の谷に相当するのではないか。現在の地図でいえばC''地点の南の尾根付近から登っていったのではないかというのが私の考えだった。

一方,B=B'=B''だとする意見もあり,谷は下流ほど深くなるので,Bの谷を遡り,少し浅くなったところで沢を渡って尾根に登ったのではないかという考え方である。鵡川との位置関係からすればB=B'=B''と考えるのがたしかに自然ではある。

登ってから沢を渡るのか,沢を渡ってから登るのか。

●安全策をとるべきか

そういうことで,道自体がはっきりしておらず,出だしからつまずくことも予想された。冬山の登坂という技術的な面では,同じ場所でも条件によって難しさがまったく異なり,行ってみないことにはわからない。

それでも,ともかく行ってみようということで話は進んでいたが,ここでNHKのディレクターK氏から,やはり頂上までは何とかたどり着きたいので,できれば上りは確実な2代目のルートで行きたいという意見が出た。

K氏:「絵的にはめちゃめちゃなところを上がっているのと,そこそこのところと……,絵としてはめちゃめちゃなところにしたいけど」

ディレクターK氏:「まあ,まずは私たちの場合は安全が第一なんで」

アナウンサーF氏:「逆の反応があるかもしれない」

K氏:「じゃあ,そうしましょう。上りは新ルートで行きましょう。隊長!」

常識的な判断を下した観光協会のKさんに対して,細谷隊長は首を縦に振らなかった。

●峠越えのロマン

細谷氏:「ちょっとここ探してみましょう。入ってみたい気がするんですよ……気がするではなくて,あくまで旧ルートを辿ろうとする趣旨からすると,最初の入り口だけでも見たいなと」

いちばん危険を承知しているはずの細谷さんの,それでも行ってみたいという発言は参加者達の心をまた動かした。越えたいというのは個人的な興味の問題ではなく,今この機会に自分が皆を連れて越えなければという隊長としての責任感から出た言葉だったのではないかと私には感じられた。

さらに細谷さんは話を続けた。

旧ルートは逆「への字」の線形をしているが,占冠側の延長線上にトマム山があり,夕張側の延長線上には清風山,三角山,夕張山,屏風山が位置している。これらの山を正面に見ていればルートを見失うことはないはずで,これはまったくの仮説であるとしながらも,どこを目指して下ったのか実際に歩いて確かめてみたいのだという。

そういうのを考え出すとおもしろいんだよねと,一同深くうなずいた。

門間さんからは,自分も道のない森に入ると形のいい木を覚えておいて目印にして歩くので,昔の人もそうしたのではないか,そういう木が残っているかもしれないという話があった。初代鬼峠に近いところを走っていると思われるソウウンナイ林道には巨大なハリギリの木があるという。

●二手に分かれて

やはり,初代鬼峠に挑戦したいという気持ちは捨てきれず,上りは初代と2代目のルートに分かれて,無線で連絡を取りながら進み,合流点で落ち合うことになった。その後,取材班には引き返して車でニニウに向かっていただき,有志のみで初代ルートをたどってニニウに下るという算段である。

取材班に初代ルートでそのままニニウに下らないのかと確認すると,ディレクターK氏,アナウンサーF氏,音声S氏は揃って「はい」と言ったが,カメラマンM氏だけはうなずかなかった。

カメラマンM氏:「もうここまできたら僕は行くよ。カメラだけでそこまでして行って,Fアナもいない中でどこまで使えるかわからないけど。もしかしたらか発見とか驚きがあるかもしれない。そういうものがあったら僕は撮りたい」

「よく言った」と歓声が上がった。

そういうわけで,上りは2班に分かれて,取材班と山本さん,門間さんが2代目の道を行き,細谷さんとIさんと私で初代のルートを開拓し,頂上で合流するということに決まった。


ドラマも終わり,後片づけをする方々。お疲れさまでした。

 

研修室では2次会が始まった。重鎮の方々も深夜まで残って話をしていただけたのは貴重なことだった。体育館では再び映写会が行われていた。皆さんのお話は全部吸収したかったところだが,体は一つしかないのでどうにもならなかった。

0時30分,ごんすけさん,こうすけさんが帰途につく。これから札幌まで,お気をつけて。

明日があるので今夜は飲み過ぎないようにという忠告もなんのその,2次会は午前3時まで続いた。夜が更けるに従って,話は核心に近づいていった。

 

双民館の宿泊棟。宿泊者は11名いたので,3棟に分かれて泊まった。通常冬季は使用していないので,役場の経済課長直々に除雪して開けていただいたのである。

午前3時30分就寝。お休みなさい。


6. 鬼峠の記憶