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8. 鬼は生きていた

●12:10 鬼峠出発

ここから鬼コースと仏コースのメンバーが合流して初代の鬼峠を越える。上りは尾根が1本なのであまり迷うこともないが,下りは明瞭な尾根がないので慎重に道を確認しながら進まなければならない。

地図で方向を見定めた上で,こっちだという直感も大事にしながら進む。道なき道とはいっても,昔の人はここを歩くしかないと思ったからここに鬼峠が存在したわけで,昔の人と心を一つにすれば自ずと道は定まるはずである。

 

微妙な山肌の起伏を見て慎重の上にも慎重に進む方向を見定める。ここまできたら今の地図よりもむしろ大正の地形図を見たほうがよい。当時の測量技師は確かにこの鬼峠を歩き,自分の目だけを頼りに等高線を描いたのだ。それはむしろ神業に近い偉業である。原生林の中で測量技師はあのピークをここにあると判断したのではないか……現在の地図と位置は異なるが,我々には彼の気持ちが理解できるような気がした。

幹だけ残った大木。

20分ほどでスキー場のような高原に出た。爽快感抜群である。

地形図の通り,高原を過ぎると急な下りにさしかかった。

 

地形図ではここから激しい屈曲を描いて標高差450mのニニウまで一気に下っている。この辺りがまさに「稲妻道」なのだろう。

13時17分,送電鉄塔の下に出た。ニニウの盆地を一望にし,まわりはどこまでも山が続いている。わらじ履きの花嫁姿で鬼峠を越えた娘たちもきっとこの辺りでニニウを眼下にしたはずだ。ここで一生暮らすのだと知ったときどんな気持ちを抱いただろう。

高速道路の建設が進むニニウ地区。手前に新入小学校跡やサイクリングターミナル,遠くにJR石勝線の清風山信号場が見えている。キャンプ場は高速道路と新しく建設される道道に取り囲まれる形になるようだ。昨日の交流会で,あと10年遅く高速道路の話が来たら,村は高速道路をここに通さなかっただろうという話を聞いた。そう考えると何とも惜しいことである。

 

下り坂はますます厳しさを増す。足で歩くというより手で歩くと言ったほうがよいような坂だ。ストックの使えないMカメラマンは,大きなテレビカメラを両手で抱えて雪だるまのように転げ落ちていた。

古老が「足を踏みはずすとズーっと滑っていってしまうような」と語っていたのはまさしくそのとおりだった。なるほどこれが鬼峠か,とみな納得した。

しかし,道が険しいからといって,今日は暗く辛い峠越えになったのかといえば,そんなことはない。むしろ,楽しくてどうにもならないのである。動物写真家の門間さんは「おもしろくてたまらん」と連発していた。

そんな門間さんがフクロウを見つけた。にわかに緊迫した雰囲気になり,プロのカメラマン2人が撮影するのを,我々は少し離れたところでそっと見守った。80年ぶりに現れた人影に驚いたか,フクロウは大きな羽を広げて飛び立っていったが,その姿には鬼峠の神様と呼ぶにふさわしい威厳があった。

14時16分,ペンケニニウの林道に出た。振り返って山を見れば,なるほどやはりこの場所から登っていくしかなかったのであろうと確信できるものがあった。

下りに要した時間は2時間06分。昨年は峠から石勝線橋梁下まで2時間20分を要しているので,距離が短い分下りは早かった。しかし,距離は長くとも昨年下った道は今日下った道に比べればまさしく仏であり,「初めて馬橇の鈴の音をきいた時汽車が開通した様に喜んで出迎えた」(『占冠村史P.520』)と伝えられているように,昭和4年の2代目鬼峠の開通はニニウにとって革命的な出来事だったに違いない。

林道を下ってニニウ神社へ向かう。

●15:00 ニニウ神社参拝

ニニウもこの数年で廃屋が相次いで姿を消し,集落があった頃の名残をとどめるのは,学校と廃屋1軒とこの神社しかなくなった。昨年,今年と皆で鬼峠を越え,昔の人の苦労を偲んだ。それはそれで意義深いことだと思うが,形あるものを我々の手で将来に残していくということも考えていかなければならないのではないか。それでまずは簡単にできることからということで,ニニウ神社の雪下ろしを提案したのである。

昭和38年の『占冠村史』の中に,著者の岸本翠月氏が当時既に荒廃していたニニウ神社を訪れ,この境内で行われていた盆踊りに思いをはせるという印象的な一節がある。それから50年近く,小さな祠堂は時間が止まったようにそのままの姿で鎮座している。

意外と厚く積もっていた屋根の雪を丁寧に払い除け,整列して参拝した。

●15:30 G邸前にて

ニニウの住人Gさんの家の前で鹿鍋をいただく。

●16:00 A邸前にて

ニニウに唯一残る廃屋となった,A邸前で最後の撮影。

この後,旅人役のFアナとのお別れのシーンを撮影した。通常のパターンだと,地元の人に見送られてアナウンサーが去っていく形になるが,今回の場合それはかえって不自然だということで,アナウンサーと一緒に参加者全員でニニウから帰る後ろ姿を撮ろうということになった。

ただそれだと画面の中に山しか入らない。NHKのKディレクターは,「なぜ鬼峠を越えるのか」ということをずっと我々に問いかけていたが,その答えはやはりニニウにただ一軒残ったこの廃屋に語らせたかった。

私は何とかA邸を絵の中に入れてもらえないかとMカメラマンに懇願した。彼は「入れたいですよね。だだ良い角度で入らないんですよ」と言いつつしばらく考えて,番組で使えるかどうかはわからないが,廃屋をバックにしてFアナウンサーを見送るパターンでも撮っておきましょうと言ってくれた。

廃屋が何を語ったかはわからないが,物言えぬ廃屋に何かを語らせることはできた。私は涙があふれてきて止まらなかった。

●16:37 解散

帰りはKさんと奥様に車で送っていただき,道の駅にて解散。お疲れさまでした。

この後,歩いて占冠駅に向かい,帰途に着いた。駅前の物産館で昨日の鹿肉を提供していただいた森のかりうどTさんにお会いすることができたのは思いがけないことだった。


9. ニニウの力