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6. 谷は消えていた

11時ちょうど。峠の頂上で早めの昼食とする。

湯の沢温泉の特製おにぎり弁当。

昼食の間も,時間を惜しむようにして先人のお二方は峠の下り口を探索されていた。

鬼峠の現役時を知る伊藤さん,さらに鹿道時代の道のネットワークに思いを馳せる山谷さんにより,時空間を越えて鬼峠の核心に迫ろうとする場面。

30分ほどの昼食休憩をとり,11時30分出発。

下り口については,昨日のルートで間違いはないとの認識で,昨日と同じ位置から降り始めた。

ところが,伊藤さんは,そっちではないと言って,また一人別のほうへ行ってしまわれた。

 

雪面に道筋を描き,こうだったはずだと力説する伊藤さん。

ともかく今日は,地形図のルートを極力忠実にたどり,その上でお二人の判断を仰ぎたい。ここは時間をかけて話をし,昨日のルートを下ることにした。

いざ下り始めてみれば,「この道がそうかもしれないなあ」とのこと。

しかし,途中から「これは違う」と,会田さんからきっぱり否定された。ルートとして合っているかどうかはともかく,「この勾配では馬車が登れない」とのこと。

これは本当だろう。ここに至って,地図に記されたルートと当時のルートは実際に異なるのではないかと,我々も考えざるを得なかった。

 

下り始めて30分,高低差にして100メートルほど降りてきた。ここで細谷さんの説明を聞く。

「ルートどおりには来ています。ただ,会田さんや伊藤さんが感じていると思うんですけど,『自分たちが通っていた鬼峠のルートではないんじゃないか』と。もしかすると以前通ったルート(2007年,2010年の踏破ルート)が,お二方が歩いていたルートに近いかもしれないという可能性があります。で,半ば強引なんですけど,ここから(谷の)向こう側に戻ります。昨日もここから行っているので,迷ってはいないです」

今日はGPSの情報も参考にしている。初代の鬼峠のように元の地図が正確でない場合,GPSは無用だが,今日のように現在の地形図上でルートがある程度はっきりしていて,それを忠実にたどろうとする場合にGPSを参考にするのは適切だと思う。

上流側に向けて進路を切り返し,それでも何となくそれらしい道を進む。

谷を回り込む道の存在に可能性をかけて,進んではみたが,どんどん険しくなる一方でやはり道は谷に消えていた。

12時18分,再度細谷さんの説明を聞く。

「ルート上はここから沢を渡って向こうの壁伝いに行って,またこっちへ戻ってきます。たぶん長い間に地盤が崩落して危険なので,今日は迂回しているところを迂回しないで次のポイントまで行きます」

道は消えている。そして,道とともに谷も消えているのではないかという細谷さんの見解である。

たしかに,地形図の谷はもっと深く奥深いようにも見える。また,会田さんや伊藤さんからは,「見下ろすと馬蹄形の道が見えるほどの激しく屈曲した峠道だった」という,我々がいまだこの道筋で体験したことのないような証言が得られている。

道ではないのは明らかだが,昨日と同じ道で対岸に渡る。これが最も安全という判断である。

  

道なき道では年の功がものを言う。

崖を登る。あとからロープも張られた。(のちのGPSによる検証では,この道とは思えない部分が,鬼峠の想定ルートにぴったり重なっていることが判明している)

 

対岸の道に出た。鬼峠の一画をなす道である可能性は高い。

恐らく,2007年,2010年の踏破ルートとも重なっており,このまま沢を渡ることなく,土場跡に出ることができる。

しかし地形図によれば,ここからさらに3回谷を横断している。

お二方は,沢を渡ったという明瞭な記憶はないとのことであったが,まっすぐに下るのは集材道で,峠道は曲がっていたということは確かなようである。

途中,2,3度,ここで折り返していたのではという場所があった。

そうしたところでは,会田さんが先陣となって踏み込んだものの「やっぱり道が落ちている」と言って引き返して来たり,最後方で一行をしっかり見守っていた山谷さんが「行けるみたいだ」と言って先頭の細谷さんを呼び止め,一行を待たせて細谷さんと山谷さん2人で谷間に踏み込むなど,いよいよ真に迫ろうとする場面が展開したが,結局谷を横断する道は見出せなかった。

峠を下り始めて1時間半。細谷さんの説明を聞く。

「伊藤さんや会田さんが通ったルートとは違っている可能性があります。いま,当時のルートに乗っているんですけど,九十九折りだった道が途中で崩壊している可能性があります。これからは出口に向けて失敗しない絶対方位で行きます。伊藤さんや会田さんが『ここ入ってみたいな』とかいうところがあれば寄り道しつつも,絶対方位で進んで行こうと思います」

それから先は伊藤さんがスキーで先導し,道なりに下った。土場に出る前に,道はさらに妙な屈曲を描くはずだが,この部分も結局わからなかった。

13時22分,土場跡に到着。5分ほど小休止。


7. 生家を壊すということ