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2. 占冠へ向かう

2007年3月17日(土),いよいよ鬼峠フォーラムの当日である。さて,占冠へはどうやって行くとしようか。石勝線ができて便利になったからといって,特急でまっすぐ行くようなことはしたくない。先人がそうしたように歌志内から茂尻に越え,願わくば空知大滝からスノーシューで滝里ダムを踏破して,などということは無理としても,とりあえずは富良野を廻り,バスで金山峠を越えて占冠に入ろうと考えていた。バスだと多くの参加者が乗ってくるであろう特急とかち5号より10分ほど早く占冠駅に着くので,先乗りして皆を待ち構えようという算段もあった。

ところが,この日の朝は激しい吹雪で,富良野行きの高速バスは遅れる心配があったので,不本意ながら石勝線で行くことにした。ただ,時間があったので普通列車で行くことにし,札幌9時30分発千歳行き普通列車から,千歳10時34分発新夕張行きに乗り継いだ。新夕張で特急の待ち時間が相当あるので,夕張まで往復することにし,夕張行き普通列車に乗車。東京のあずさんと埼玉の駅前旅館さんが夕張に寄ってから占冠に向かうと聞いていたのでどこかで会うだろうと思っていたら,まずは夕張からの復路,清水沢駅であずさんが乗車されてきた。

昼食はあずさんも同じ考えで,沼ノ沢駅で下車し,レストランおーやまでオムカレーをいただいた。次の新夕張行きでは予想通り駅前旅館さんと合流した。

新夕張から13時52分発特別急行とかち5号に乗車する。この列車にはフォーラムの参加者が既に何人か乗っているはずだ。

清風山信号場よりニニウ方面を見る。信号場とオーバークロスする形で高速道路の橋脚が建設されていた。正面の山が鬼峠。

占冠駅で下車。ここでガンビさん母子,牡丹灯籠さんと合流した。

占冠駅前14時30分発,日高行き日高町営バス。写真を撮り回っている我々を見て,運転手さんはこの上なくいぶかしげな顔をしていた。「双民館まで」とお願いすると,「アーッ???」と言われたので「双珠別まで」と言い直した。たしかに,このバスに他所の人が集団で乗ってくるのは珍しいことなのだろう。ちなみに,運転手さんはガンビさんの親戚筋にあたる方だったとのこと。

 

現場事務所や宿舎が林立し,高速道路の建設が進む占冠市街。占冠はNEXCO東日本(旧道路公団)の千歳工事事務所と帯広工事事務所の管轄界にあるため,特に事業所が多いのだという。

14時42分,双民館前到着。

 

双民館は1997年3月に廃校になった双珠別小学校の校舎を利用した体験施設である。建物は昭和32年の落成と木造校舎としては比較的新しく,重厚でしっかりとした建物には木造校舎独特の暖かみがあった。

 

車での参加組も加わり,さっそく名刺交換をする諸氏。荷物は校長室に置かせてもらった。調理実習室では既に料理の仕込みが始まっていた。

 

フォーラムの会場となる体育館。座布団はやめて,結局パイプ椅子になったようだ。

 

教室棟は郷土資料室になっていた。占冠物産館2階にある郷土資料室より数段充実している。

資料展示コーナー プログラム

スクリーンも立派なもので,両側に熊が控えていた。M主査が慣れた手つきで機械をつないでいた。映写機にも角度補正機能が付いているのであろう,幕いっぱいに映像が映って素晴らしい。パワーポイントはありきたりの背景ではどうしてもしっくりこなくて,新入小学校の写真を適当に加工して背景画像を作った。黒地に淡青がスクリーンに映写した場合にどうなるか不安だったが,さほど暗くない中でもけっこう良く映ってほっとした。

山本さんからは,講演の題名をつけるよう頼まれた。題をつけるかどうかは3月5日の打ち合わせで確認しようと思っていたのだが,そのときはとにかくアットホームにということで次第もプログラムも作らず,題名をつけるような雰囲気ではなさそうだったので,あえて確認しなかったのだ。しかし,やはり紹介の都合上,題名があったほうが良いというのだ。急に言われても思いつかないので,しばらく考える時間をもらったが,結局題名のつかないままフォーラムが始まってしまった。


3. 鬼峠交流の夕べ