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5. ニニウの記憶

交流会で語られた鬼峠やニニウ,占冠にまつわる記憶をここにまとめておく。

なお,文中の氏名表記については,既にインターネット上で本名が相当数使用されている場合及び故人については本名で記載し,そうでない場合にはイニシャルまたはハンドルネームとさせていただきました。支障がある場合にはすぐに直しますので,ご連絡ください。

●忘れられぬ蕎麦の味……占冠村元村長 観音信則氏

会田信邸。今ではニニウに残る唯一の廃屋となった。

観音さんは1977年から1997年まで20年間に渡って占冠村長を務められ,現在は占冠村観光協会の会長を務められている。村長時代に国鉄石勝線が開通し,トマムリゾートやニニウ自然の国の開発を実現するなど,まさに占冠村をいちばんよく知る方である。

昭和22年,占冠村役場に入庁。衛生担当吏員として,予防注射や結核の検診のために鬼峠を越えて何度もニニウに通ったという。鬼峠は「三里の峠道」と称される長く険しい峠道だったが,むしろ峠を降りてペンケニニウ川沿いに下る道のほうが長く感じたそうである。また,鬼峠は馬車が通れるように大きく迂回して高低差を稼いでいるが,徒歩の場合はショートカットすることもあったとのこと。

ニニウには三船旅館があったが,そこには泊まらず,逓送をやっていた会田信さんの家に泊めてもらい,そこで食べさせてもらった蕎麦の味が今も忘れられないという。当時ニニウの農家ではどこでも自家製の蕎麦を作っていたそうだ。また,ニニウには「ニニウの村長」と呼ばれる伊藤周吉翁がおり,ニニウに入るとまず挨拶に行ったとのこと。

国鉄石勝線が開通したときには,村長として村民にまず列車に乗ってほしくて,占冠村民号を運行させた。乗客は999名で1000人にあと一人足りなかったという。

●投票箱をかついで越えた鬼峠……占冠村議会議員 長谷川耿聰氏

村議の長谷川さんは元役場職員で,観光協会会長などの要職を歴任されている。また占冠きっての山男としても知られており,古稀を迎えられた現在も毎年世界の名峰に挑戦されている。今回の鬼峠越えにあたっても先導役をお願いしていたが,直前に腰を痛められたとのことで,残念ながら参加いただけなくなった。

占冠村役場には昭和29年入庁。選挙があると長谷川さんは若手職員ということで,投票箱をかついで鬼峠を越えた。鬼峠越えはともかく厳しい道のりだったという。世界中の山を登った長谷川さんがそうおっしゃるのだから本当に大変なことである。

ニニウでは観音さんと同じような経験をお持ちのようだった。伊藤周吉翁はかなりの酒好きで,焼酎に行者ニンニクの臭いが混ざり,臭くてたまらなかったという。

役場に入った昭和29年は,ちょうど本村から鵡川沿いにニニウを結ぶ村道林道併用ニニウ道路(現在の道道夕張新得線)の開削が始まった年で,長谷川さんは森林組合の技師としてこの道路の建設に携わった。この道路の話を始めると時間がいくらあっても足りないとのことだったが,中央から赤岩までが占冠村森林組合道として開削され,赤岩から奥が営林署により開削されたのだという。ニニウ道路の着工から半世紀を経て,今年4月赤岩トンネルと新赤岩橋が開通した。自らがつけた道のはるか上に架かる新しい赤岩橋を,長谷川さんはどんな思いで見ているのだろうか。

●ドラマのモデルになった母……占冠村議会議員 鈴木恒夫氏

村議の鈴木さんのお母さん・鈴木ヨシノさんは,ドラマ「鬼峠」で原泉(はら・せん)演じるチズのモデルとなっている。当時北海タイムスの記者だった宮内令子先生の取材を受け,福島から金山峠を越えて嫁入りしたときの話を全部ドラマで使ってもらえたとのこと。

交流会の翌朝,道の駅までわざわざ駆けつけて,お父さんが亡くなられたときに出版された『故鈴木知次生涯のあらまし』という著書をくださった。

著書によるとお父様は石勝線開通の直前に亡くなっており,鉄道の開通を見せられなかったのが「何よりも心残り」と書かれている。占冠村民号の発車を伝える当時の写真には,遺影を胸に抱いたご婦人の姿が映っているが,この方がまさに鈴木ヨシノさんだったのである。

著書『故鈴木知次生涯のあらまし』 北海タイムス連載「占冠の女」に3回続けて登場した鈴木ヨシノさん

●「鉄夫の家」のこと……元ニニウ住民H氏

ニニウ最後の農家伊藤キヨさん宅(鉄夫の家)。写真は北海タイムス記事より。

Hさんはドラマ「鬼峠」の主人公が暮らしていた「鉄夫の家」で生まれ育った。ガンビさんのお母さんとは新入小学校の同級生とのことである。ご両親はドラマ撮影当時ニニウに残る最後の農家となっており,お母さんの伊藤キヨさんは北海タイムス連載の「占冠の女」にも登場している。

「鉄夫の家」はロケのため2日間テレビ局に貸し,その間両親は占冠に暮らしていたHさんのところに泊まったという。ドラマに出てくる「鈴木の爺さん」はお父さんの伊藤繁雄さん本人だとのこと。ドラマに出てくる「学校からもらってきた公衆電話」は,ドラマの撮影のためにテレビ局がつけたものだそうだ。

ドラマで「鈴木さんの家」として登場している家は,Hさんのお兄さんの家とのこと。「鉄夫の家」「鈴木さんの家」とも昨年までに解体され,庭に植えられた木のみがかつてそこに人が住んでいたことを伝えている。

●ドラマ「鬼峠」

今回のフォーラムは,7年前に千春の家さんからドラマのビデオテープを送っていただいたところから始まったといって過言ではない。2005年2月にドラマ「鬼峠」を紹介するページを作成し,それが縁で山本さんと知り合うこともできた。

千春の家さんはドラマ放送後,実際にニニウに行きロケ地を巡ったという。占冠駅にも行き,ラストシーンで登場する赤い公衆電話が本当にあるのか確かめたそうだ。本別のHさんも鬼峠にはいろいろ影響を受けたそうだ。山本さんも中島みゆきの「ホームにて」は学生時代の思い出の曲であり,それが自分が暮らす占冠を舞台にしたドラマのエンディングに使われているのは偶然とは思えない気がするという。

ドラマ鬼峠については,「主題を詰め込みすぎ」という批評をどこかで読んだことがあり,たしかに,正味50分で語る内容としては欲張りすぎの嫌いがある。しかし,放送から20年以上を経てもなお,これだけの人を引きつけ,鑑賞会をやるといったら50人も集まるのだから,もはや名作といってかまわないだろう。

大きな画面で見るドラマは感動的だった。山本さんは「映画館さながらの素晴らしい映像と音響でした。これまで数回このドラマを見ましたが,はっきりいって全然違うように感じました。鉄夫が『鬼が出た〜鬼が出た〜』と叫ぶシーンなどは,テレビで見ていると何か気恥ずかしいような気持ちがしたのですが,(当日は)スムーズに感情移入できました」と振り返っている。結局,誰が何のためにドラマを作ったのかということは判然としなかったが,このドラマの制作意義は今日で報われたとM主査がおっしゃっていたのは本当であろう。

●ニニウの蛍ツアー……アルファリゾート・トマム 細谷誠氏

美瑛町の出身でトマムリゾートに勤務している細谷さんは,恐らく現在のニニウを最もよく知る人の一人である。講演の冒頭,私が小学3年のとき近所の天ぷら屋の娘さんがニニウのサイクリングターミナルでアルバイトをしていたということを話したが,この娘さんが細谷さんの同級生だと知って驚いた。細谷さんはその当時からニニウによく足を運んでいたとのことである。

新入小学校体育館(2002.5.5撮影)

トマムでは,宿泊客を対象にニニウの蛍を観賞しに行くツアーを実施しているという。新入小学校も建物の痛みが激しく,何年も使用していないものと思っていたが,少なくとも一昨年までは体育館の中でレクチャーを行っていたというので驚いた。あの蛾がブンブン飛び交う体育館を子供たちに体験してもらいたいのだという。

講演の中で私はニニウにはなぜだかわからないが人を引きつける不思議な魅力があると言ったが,細谷さんは,ニニウにはなぜだかわからない魅力ではなく,きちんと説明できる魅力があるのだと言った。そして,ニニウには自然,文化,歴史のすべて要素が揃った世界に通用する学習のフィールドだと言い切った。

●高速道路とニニウ

ドラマの上映が終わった後,NEXCO東日本(旧道路公団)占冠西工事区の工事長さんがわさわざ挨拶に見えられて驚いた。村の広報でフォーラムのことを知って参加したのだという。講演の内容について,「今日の話を聞いてニニウに対する思いを新たにした。今後とも環境には十分に配慮していきたい」というような主旨の感想を頂戴した。村でも最近になっていろいろ意見を申し入れているようで,NEXCOもなかなか対応が大変らしい。今度機会があれば工事現場を案内してくださるとのことだった。

「ニニウに急げ」のページを作ったときは,まだこれから設計協議という段階だったから,その時点で意見を申し入れればどうにでもなったのだろうが,設計が上がってしまっている現段階では対応にも限界があるのだろう。そういう意味では,私としては既にやるべきことはやっていたという思いもあり,今となってはニニウに高速道路ができるという事実を冷静に受け止めるしかないといったところではある。

高速道路の建設が進むニニウ地区(2005.9.25撮影)

高速道路建設による具体的な影響としては,まず騒音の問題があるが,みなが心配していたのはむしろクワガタと蛍のことだった。ニニウにはクワガタが多数生息しており,キャンプ場のライトに集まるおびただしい数のクワガタがキャンパーを喜ばせているという。工事が始まってからは,作業員達が現場の照明に集まったクワガタを村のイベントに提供して喜ばれているという。しかし,高速道路が開通して道路に照明が付いたら,クワガタが全部そちらに行ってしまうのではないかとのことだった。クワガタで道路が滑るのではないかと真面目に心配する声もあった。

蛍に関しては「三角地帯」と呼ばれる聖域がある。湿地性の植物が繁茂し,生命のエネルギーに溢れている場所だが,近くを高速道路が通過するため影響が懸念されるとのことだった。

こうした自然に対する影響だけではなく,ダンプが24時間ひっきりなしに往来するため,キャンプ場やサイクリングターミナルも営業できない状況が昨年から続いているし,「鉄夫の家」や「鈴木さんの家」が人為的に解体されたのも間接的には高速道路の影響だといえるだろう。

高速道路がニニウを通過することは宿命だと思うし,ニニウの魅力は高速道路が一本通ったくらいで魅力が無くなるような半端な魅力ではないと思うが,やはり本音を言えば私も腹を切り裂かれるような痛さを感じているのである。

●トマムとニニウ

アルファリゾート・トマム。36階建てのザ・タワーは1987年12月に1棟目がオープン。

実はトマムというところもニニウとよく似た境遇にあるのではないかという意見を,今回複数の方から聞いた。

たしかにトマムもリゾートができる前は陸の孤島の中の孤島で,本村で用を足すには国境を2度越えて3日がかりというところだった。トマムリゾートも10年ほど前から経営会社の破綻など何度も危機に瀕しているが,そのたびに蘇生し,意外にも堅調な経営を続けていると聞く。バブル期に開発されたリゾートでトマムのように生き残っている例は,全国的に見てもまれだろう。これはやはりニニウと同じように,トマムにも人を引きつける不思議な土地の力が存在しているからなのではないかと,山本さんはおっしゃっていた。

トマムが占冠に与えた影響は甚大なものがある。今回の企画もトマムリゾートの関係者が多く関わっており,トマムがなければ鬼峠フォーラムは実現しなかったであろう。そういう意味ではたしかにトマムあっての占冠なのであるが,逆にしっかりとした本村やニニウがあってのトマムであるということも忘れてはならない。ニニウというのは,まったく経済的価値のないところだと思われているかもしれないが,今回ニニウという縁で,トマムの人,占冠の人,村外の人が一つになるイベントが実現したことで,ニニウの存在価値が認められたのではないか。これから先もトマムとともにニニウも大事にしていかなければならないのである。

●占山亭のマスターのこと

占山亭のマスター

1998年6月から2001年11月まで,占冠駅前の物産館で「占山亭」というレストランが営業していた。今回参加された東京のあずさんと滋賀の牡丹灯籠さんはこの占山亭のマスターが縁で親交を深めた方である。これまで何度も北海道を訪れているあずさんは,「北海道に来てマスターと会えたことが何よりも財産」とおっしゃっていた。ここに書くのは差し控えるが,マスターの経歴を聞くと,なるほどそうだったのかと納得するものがある。

占山亭のマスターを最もよく知る人が,占冠村教育委員会のM主査である。当時観光担当課にいたM主査は,富良野の行きつけの料亭「くまげら」で北海道で店をやりたい男がいるということを耳にした。たまたま物産館の食堂が空き家になっていたのでその旨伝えると,たちまちマスターから電話があり,その2週間にはもう店を開いてしまったのである。

料理は一流で,大企業の社員食堂を任されていたというだけあって何でもできるが,最も得意にしていたのが蕎麦だったという。しかし片手間でうまい蕎麦はできないからと,メニューには蕎麦を載せなかったというこだわりの人である。

年齢を理由に店をやめた後は,東京に戻られるとのことだったが,結局冬は東京,夏は占冠という暮らしを続けている。今回もマスターに腕を振るっていただけるのではという密かな期待もあったが,3月いっぱいは東京に滞在中とのこと。フォーラム終了後,あずさんが東京で面会し,フォーラムのビデオを渡していただけたとのことである。

●今日のしむかっぷ

占冠村の公式ホームページに「今日のしむかっぷ」という名物コーナーがある。このコーナーを1996年から8年間にわたって担当されていたのがM主査である。美瑛町の出身で横浜の大学を卒業後占冠村役場に入庁したM主査は,大学時代の学友に勧められて,厳寒の地の生活を伝えるこのコーナーを作ったのだそう。

参加者の中には「今日のしむかっぷ」の愛読者も多数おり,お互いに直接話ができて感慨もひとしおのようだった。

●占冠村民歌と占冠音頭

占冠村観光協会のK事務局長は,1年ほど前に占冠にUターンし,現在は占冠村観光協会職員として道の駅に常駐し,観光客の問い合わせに応じている。今回は料理隊長として17日の夕食,18日の朝食,昼食と素晴らしい腕を振るってくださった。

そのK事務局長が二次会の席上,どういうわけかわからないが,突然占冠村民歌を朗々と歌い出した。その場にいた占冠の人達も誰も知らなかったようで驚いていた。続いて占冠音頭が披露され,これは今も8月のふるさと祭りで踊られているという。録音しなかったのが大変惜しまれるが,今度また占冠で集まったときにはみんなで村民歌を歌うというようなこともやってみたいものである。


6. いざ鬼峠へ