[ 館内ご案内 ] [ 地 図 ] ニニウのこれから 北海観光節

蛇食い仙人

 第2展示室に進んでから,厳しい自然に屈して人々が去った廃屋と,つり橋にしのばれる水害というように自然の厳しい面ばかりを見てきた。しかし,ニニウの自然は厳しいばかりで魅力はないのだろうか。だとしたら「ニニウ自然の国」も成立しないはずである。自然の厳しさも先に知っておいたうえで,これからは自然の恵みを感じてみよう。

真野朝蔵(「真」はにんぺんに真)
真野浅蔵とも書かれる

ニニウの山奥に真野朝蔵という爺さんがいた。「蛇食い仙人」と呼ばれ,占冠100年の歴史の中でも恐らく最も有名な人である。

昭和5年10月1日小樽新聞
「国勢調査の変り種,占冠山中の蛇食い仙人,83と思われぬ元気者,愛犬2匹と同棲」

国勢調査における変り種の一つ,勇払郡占冠村に居住する真野朝蔵翁(83)は通称山の仙人で通っているが,今日行われる国勢調査に忠実に申告した一人である。
翁は新潟県人で明治13年に渡道し,最初は漁師として各地を廻り,同20年新十津川で造田請負いをなし,一時日高で杣不をしたりして20年前占冠に移住した。
以来造材所の人夫として働いてきたもので,住居は占冠市街の3里ほど山奥にある。もちろん道路などあろうはずがなく,丈なす熊笹はものすごく,ことに秋のぶどう時には,巨熊の出没があるにもかかわらず翁は一向平気なものである。
木の枝や笹などでかろうじて雨風をしのいで2坪ほどの掘っ立て小屋に愛犬2匹と生活しているのであるが,食糧としての小屋の周囲に稲きび1畝と大根少しばかり植えつけ,春から秋にかけては野ねずみや蛇を常食とし,秋はきのこかぶどうを採取して冬の食糧にあてていたが,たまたま狩人がたずねていくとふきと蛇のごっちゃ煮ねずみの丸焼きをすすめるそうである。
翁は全く83歳とは思えぬぐらいの健康体で,月に1回は熊笹をくぐって占冠市街に出てくる気丈な爺さんで,今回の調査の変り種としてこの徹底した仙人ぶりは近村の話題となっている。

 山で暮す仙人という感じの人は今では全くいなくなったが,昭和30年代くらいまではよくある話だったようだ。動物をわなで捕らえて毛皮を売って生活していたという話も聞いたことがある。野ねずみや蛇も仙人にとってはご馳走だったようだ。来客に蛇やねずみを食べさせるあたりユニークだ。

 次の記事は,翁の悲壮な最期である。普通ならばだれも気付かない山の中にいても,これだけ注目を集めてこの世を去ったのだから幸せだったと言っていいのではないだろうか。

昭和6年5月21日小樽新聞夕刊
「占冠山中の蛇食い仙人の焼死」

今年1月スキー隊の訪問,また4月中2回堅雪の際訪問した児玉健吉の話によれば,元気であるが病弱のため愛犬に飯を食わせることができず1匹は死に,1匹は行方不明になった。
5月はじめに登山した人の話にも元気だとのことであったが,旭川営林署の造林人夫が入林するので宿所小屋を藤原浅治に調査させたところ,真野翁の小屋が焼失しており仙人は白骨となっていた。
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