北海観光節小さな旅行記知床32時間

標津線転換バス

厚床6:25発→中標津7:25着 根室交通

標津線の転換バスである。高校生が3名乗っていた。

厚床駅前を発車すると,1分も走らないうちにまわりが全部牧場になった。車窓には牛馬や鹿があふれ,札幌の感覚からすると同じ北海道とは思えない景色が展開する。

別海町に入って奥行臼を通過。バス停は厚床を出ると明郷,風連,奥行と数kmおきにあるだけ。いくら人口過疎地帯だといってもこれでは少なすぎると思ったら,別海,中春別,中標津市街の前後を除いてはすべて自由乗降区間に指定されており,降りたいときに運転手に申告すればどこでも降ろしてくれるし,乗るときも道路で手を挙げれば停まってくれるのである。

6時39分,中標津まわりのオーロラ号と行き違う。根室行きのオーロラ号は直行便と中標津,別海経由の2便運行されており,後者は走行距離約505kmに及ぶ道内一の長距離バスである。

厚床から約25分で別海市街到着。国道243号はここで西に折れて弟子屈,美幌峠を経て網走に向かう。中標津への道は道道8号根室中標津線に変わる。

駅がすっぽり消えてしまった別海駅前通。旧駅前広場に立派なバスターミナルが建っている。厚床から乗った高校生3名は別海高校前で下車し,ここから新たに3名の高校生が乗ってきた。

別海町内は自衛隊があるせいか,道路がよく整備されている。

別海・平糸間にて。東西に何本も流れる川が根釧台地を深く切り刻み,それに直行して走る道は何度も上り下りを繰り返す。それゆえ鉄道が走っていた頃は揺篭列車の異名がつけられたという。

中春別市街通過。中春別から2kmほど進んだところで跨線橋が残っていたが,ほかに標津線の跡はほとんど追うことができなかった。

 

中標津の駅前通に入り,交通センターに到着。駅跡は広大な芝生になっていた。

 

交通センターのバス乗り場は9番線まであった。

 

こちらも標津線の転換バスである7時30分発の標茶行きは,土曜日にもかかわらず満員の高校生を乗せて発車していった。

この7時30分発の標茶行きは,平日は2台体制で運行されるようである(1台は計根別止まり)。乗客減で鉄道が廃止されたとはいえ,朝のラッシュ時にはバスを複数台で運行させているのは各地で見られるところであり,あの深名線でさえも朝は2台体制で運行している区間があるという。

計根別行きのバスを利用しているのは中標津農業高校の学生である。計根別(けねべつ)にあるので,地元ではケネ高と呼ばれているらしい。計根別は旧陸軍の飛行場建設地であり,サイロに紙飛行機ほあしらったポスターは意味深げである。

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