北海観光節小さな旅行記錦秋日高路

ハヨピラ

 

橋の欄干が朱に染められ,にわかに雰囲気が日本調になってきた。

 

裏参道を通って義経神社に参詣する。

荘厳な義経神社本殿。旅の安全の祈願を込める。

義経神社は,寛政10年頃,近藤重藏が源義経公の像を寄進して創立したとされる古社である。一般に義経は奥州平泉で自刃したとされるが,実は密かに逃れて三厩から蝦夷地に渡ったとする義経北行伝説が古来よりまことしやかに伝えられている。

もともと平取にはアイヌ民族の始祖に関する伝説が多く,神社のあるハヨピラ(武装した崖の意)もアイヌの文化神オキクルミカムイが降臨した土地と伝えられていた。オキクルミカムイは家造りや織物,狩猟法など様々な知恵をアイヌに授け,アイヌ民族の生活の起源を拓いたとされる神である。そこに義経北行伝説が入り込み,和人がアイヌを鎮める政策としてオキクルミカムイと義経が意図的に結びつけられ,いつしかアイヌはオキクルミカムイと義経を同一視するようになった。明治11年に平取を訪ねたイザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読むと,当時のアイヌは,義経を自分たちの民族の偉大な英雄としてうやうやしく祀っていたことがわかる。

 

神社の横には立派な義経資料館があり,北行伝説に関する資料が展示してあった。

ハヨピラ自然公園

義経神社が建つハヨピラの崖には,もう一つ20世紀に建造されたオキクルミカムイを祀る神殿がある。

古代遺跡とUFOは何らかの関係があるということは現代においても否定しがたいものがあるが,UFO研究団体のCBA(コズミック・ブラザーフット・アソシエーション,宇宙友好協会)は,各地の民族伝承を調査する中で,アイヌの文化神オキクルミカムイの伝説に着目,オキクルミカムイは宇宙人であると結論づけた。

そこでCBAではオキクルミカムイ降臨の地であるハヨピラに,オキクルミの業績をたたえる神殿を建造することになったのである。工事は昭和39年から同42年にかけてCBA会員の手により行われた。

現在神殿跡は町に移管され,ハヨピラ自然公園となっている。ゲートには災害のため閉園しているとの看板が立てかけられていたが,立ち入り禁止にはなっていなかったので中に入ってみる。

目の前に壮大な石段が現れた。

写真右手のオベリスクには,三日月の形をした舟に乗りUFOを指差しているオキクルミカムイが描かれている。

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