北海観光節小さな旅行記石狩,胆振,日高,国境を巡るバス旅

石狩,胆振,日高,国境を巡るバス旅 その2

2017年10月28日(土)

東鹿越8:09発→落合8:29着 根室本線 新得行き代行バス

昨年(2016年)10月以来,列車の終着駅となっている東鹿越駅。ここで代行バスに乗り換えとなる。

駅の山手に石灰鉱山があり,JR化後もしばらくは製糖工場に石灰を輸送する貨物列車が発着していたが,廃止されて20年が経つ。昨年6月には,駅の廃止が伝えられたが,代行バスへの乗換駅として,当面廃止は免れることとなった。

かなやま湖南岸の町道をしばらく走り,国設スキー場下の踏切を渡る。踏切の棹は撤去されている。

1年以上列車が走っていない線路は,まだそれほど傷んでいるようには見えない。幾寅までは,ほとんど被害がないように見えるが,東鹿越から代行バスとなっているのは,幾寅に信号設備がないためだろう。

 

南富良野市街を通る国道38号線。信号の先あたりの低くなっている場所は,2016年8月30日の台風10号による大雨で浸水し,南富良野町としては史上最大の洪水被害となった。

右は幾寅の開拓がはじまる前の明治29年に発行された殖民地区画図であるが,左の写真の手前に写っているあたりが,地図で公共用地に指定されている場所で,現在も役場や学校,消防が集積しており,ここは浸水を逃れている。さらに鉄道は最も安全な山側を走っている。原生林で見通しの利かない当時にあっても,地形を読んで確かな計画がなされていたことに改めて感心する。

 

バスは幾寅駅前のロータリーに乗り入れた。今日はここまで乗客4人で来たが,平日には,富良野方面から南富良野高校に通う学生で満載となる。駅前では,占冠村営バス・トマム線のバスが発車を待っていた。

幾寅市街を通過した代行バスは,南富良野高校前で停車した。今日は高校生が1人だけ下車した。

空知川沿いの農地は浸水して土砂が流入したところも多く,復旧工事が続いている。

根室本線の線路は幾寅から先も,車窓から見る限り,ほとんど被害を受けていない。

石勝線開通前のように,この区間が本来の幹線としての役割を保っていれば,恐らくは3日とかからず復旧させたレベルであるように思われる。

落合で代行バスを下車。

ここで,上下の代行バスが行き交う。狩勝国境を越える乗客は僅少だが,12月からはサホロリゾートにも停車することとなっている。

駅の待合室は開放されているものの,跨線橋は閉鎖され,線路に草が目立ってきている。再び列車が来ることはあるのだろうか。

落合駅の営業は明治34年(1901年)。明治40年(1907年)に帯広に延伸するまで,6年間終着駅の時代があった。そのころが落合の最も栄えた時代だったとも言われる。

以来110年,盛衰を繰り返しながらも先細る一方の落合であったが,近年はカーリングやラフティングの聖地としても知られている。今年はかつての落合中学校4人の同級生のうち3人がオリンピック選手になったこともニュースになった。

 

駅の待合室には,南富良野高校と富良野高校のポスターが競い合うように貼られていた。落合にはまだ子供がいるということである。

宅地分譲中の看板もあった。

 

小出百貨店は店を閉じていた。向かいの24時間営業の弁当屋は,閉店して久しいが,本店舗のほうもついに2015年の夏頃閉店したらしい。

  

明治のゴールドラッシュの残影を感じさせる峠のデパートととして知られ,食料品,燃料,金物,電化製品,薬,文具,おもちゃなどの日用品をはじめ,犬の首輪,耳栓,綿あめなど,ありとあらゆるものを売っていたと言われる。

会社としての小出百貨店は存続し,南富良野高校前のセブンイレブンを経営されているが,100年以上店を構えた落合を撤退せざるを得なかったのは衝撃的である。

これから占冠村営バスのトマム線で占冠に向かうが,時間に少し余裕があるので,バス路線に沿って少し歩いてみたい。

国道の三差路にあるバス停。空知川は落合で大きく3つの川筋に分かれる。

本流として扱われるのは北に延びるシーソラプチ川である。この川の上流はなだらかで,容易に十勝の佐幌川上流に越えられることが古くから知られており,安政5年(1858年),松浦武四郎はアイヌの案内でこの国境を越えている。

一方,南に分かれる大きな支流はルーオマンソラプチ川で,アイヌ時代の交通の要路と言われている。十勝に越える鞍部は比較的なだらかで,未完成であるが道道夕張新得線がここを越えて石狩と十勝を結ぶことになっている。鉄道敷設に先立って開削された旧十勝街道は,このルートをを辿っていたと言われ,明治33年から明治42年頃にかけて,串内に駅逓が置かれている。道東自動車道や,北電の日勝幹線,J-POWERの十勝幹線もこのルートを通っている。

落合からまっすぐ東に向かうのはペイユルシエペ川で,アイヌ語の語源から鹿道があったと推察される。根室本線の旧線はこの川を遡っており,その後現在の国道38号も,札幌根室線として昭和6年に開削されている。狩勝峠の標高は644mで,北海道を南北に走る分水嶺の中では最も標高が低いのであるが(これより低いのは南は太平洋の間近,北は天北峠付近までない),旧十勝街道と比べると必ずしも地形が穏やかではない。

 

落合で南に分かれたルウオマンソラプチ川にかかる根室本線の橋梁上には大雨から1年以上経った今も,流木が堆積したままになっている。いちおう管理されている構造物で,こういう状態が続いているいうのは異様な状況である。

しかし,線路自体は,山手の高いところ通っていることもあり,ほとんど被害を受けているように見えない。今年7月12日のJR北海道の発表によれば,東鹿越〜上落合信号場間の復旧には10億5千万円,12か月以上の期間を要するとされるが,これは,「同規模の災害に対しても機能が維持できるために必要となる復旧工事」に要する費用と工期であり,同規模の災害に対しては同規模の被害を許容し,直しながら使っていくという考え方をとれば,すぐに復旧できるレベルであるように思えてならない。

古い年代に建設された鉄道こそ,本来は復旧が早いはずである。明治の人力しかない時代に,旭川から落合までの108kmを,わずか3年,1日平均95メートル延伸という猛スピードで開通させている。日勝峠が現代の技術をかなり全力で投入しても開通まで1年以上かかったという事実を考えても,軽快なインフラとしての鉄道を安易に見捨ててはいけないように思われる。

南富良野に洪水をもたらした水の多くは,このルウオマンソラプチ川上流に降った雨であると言われ,道道沿いではまだ猛威の跡を見ることができる。

駅から3kmほど歩いて,どんころ野外学校の入口に到着。バスはフリー乗降なので手を挙げれば停まってくれるはずだが,乗る人がいても不審に思われることがないであろうこの場所でバスを待つことにした。

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