離島観光を終えて

離島は嫌いだった

実はわたしは今回礼文,利尻を訪れるまで,離島というところにはまったく興味がなかった。子どもの頃から北海道の地図を見るのは好きで,道内の地名なら市町村はもちろん字名のレベルまで知っていたが,離島はまったく眼中になかった。香深も鴛泊もどっちが礼文だったか利尻だったか,今回行ってはじめてわかったようなものだ。

子どもの頃なぜ離島に興味を覚えなかったのかは定かではないが,とりわけ大学に入ってからは,離島に対し妙な偏見を持つようになった。
   ・海が好きな人
   ・登山が好きな人
   ・高山植物が好きな人
   ・離島が好きな人
世の中にはこういう趣味を持つ人たちがいる。実はわたしはこの種の人たちが苦手である。その詳しい理由を書くのはやめておく。礼文・利尻にはまさにこの種の人が集まっているわけで,わたしは何かとっつきにくさを感じていた。
しかし,もしかしたら食わず嫌いなのかもしれない。居心地の悪さを感じるのは島へ渡る人たちに対してであって,島そのものに対して嫌悪感をもつ理由は何もない。変な色眼鏡をかけて見ないで,素直に島の中に入っていったら案外面白いかもしれないと思った。

研修での出会い

2001年の8月下旬の2週間,同期入社組みの研修が札幌近郊で行われ,全道各地から48人が参加した。その中には利尻や礼文から来ている人もいて,同じ会社でもいろんなところで働いている人がいるんだなあとあらためて感じた。ほとんどの人はその研修で初めて顔を合わせたわけだが,2週間寝食を共にすればそれなりに親しくなった。研修が終わったときの別れは寂しかった。

礼文のSさん,利尻のHさんと別れるとき,「今度ぜひ遊びに来てください」と言われた。わたしも「今度行きます」と約束した。「ぜひ遊びに来てください」なんて言っておいて本当に遊びに言ったら困った顔をされたなんて話は良くあって,外国人には理解できない日本人の特性だと言われるが,このときの「今度ぜひ遊びに来てください」は単なる社交辞令以上の意味を持っているように感じた。そう思ったのには離島ならあまり遊びに行く人もいないだろうから,本当に遊びに行ったら歓迎してくれるのではないかというわたしの勝手な解釈もあった。

離島勤務は通例2年間である。彼らがいるうちに島へ行くなら今年がタイムリミットだ。どうせ行くなら花の季節がいい。できれば何泊かしてゆっくり訪れたいが,仕事の都合もあるので,6月1日と15日の2回に分けて,それぞれ日帰りで訪れることにした。5月下旬,さっそく2人にメールや電話で都合を確認し,1日は礼文,15日は利尻を訪れることにした。

最初はこちらから彼らの自宅を訪ねて一言ご挨拶だけでもと思ったのだが,車で島を案内してもらえるとのことだったので,あつかましくもお言葉に甘え,1日びっしり島を案内してもらった。やはり島に住んでいる人に案内してもらうと見えてくるものが全然違う。思ったよりもずっと多くのところを見てまわれたし,非常に貴重な体験をさせてもらったと思っている。
2人に会社の同期で今までに誰か来たのか聞いてみたら,わたしが初めてだという。そういうこともあって手厚く迎えてくれたのだと思うが,わたしとしても本当に行ってよかったと思う。

Sさんとわたし Hさんとわたし

離島観光の実情

両島とも滞在時間はフェリーの始発便が着いてから最終便が出るまでの約9時間であり,せっかく行くのにそんな短い時間しかいれないことを申し訳なく感じていた。ところが意外にも2人とも口をそろえて言った。
「9時から5時までいれば十分に見れますよ」。
標準的な観光ツアーではどちらかの島を半日観光するとすぐに隣の島に渡ってしまい,そこで1泊し,翌日すぐに稚内に戻ってしまうのだという。また最近は札幌〜稚内の往復をバス車中泊で移動する0泊3日,1泊4日などという激安ツアーも登場して人気を集めているらしい。たしかにあらためて団体旅行のパンフレットを見てみると,どのコースも非常にあわただしく,ひどいのは礼文滞在がわずか2時間20分というのがあった。それらのツアーに比べれば今回の旅行はいくらかゆっくりしていたと思う。

礼文は高山植物を求めてくる人が多く,利尻は名山を求めてくる人が多い。だからわたしは居心地の悪さを感じる,というようなことをはじめに書いたが,実際訪れてみると印象は変わった。礼文も利尻もなんだかんだいって団体ツアーで訪れる人が大多数を占める普通の観光地だった。礼文の8時間コースを歩いたり利尻山に登るのは,島を訪れる観光客のごく一部だ。それに離島は何だかんだいって離島だ。小樽・函館・富良野・美瑛といった本島の大観光地に比べれば訪れる人はずっと少ない。あくまで島は観光客のものでなく島民のものなのだ。
観光客で賑わうのは夏のほんのひと時であって,冬には恐ろしく静かな風景が見られるという。SさんとHさんの話に説得力があったのも,彼らは島で一冬を越しているからだろう。今度島へ行くならぜひ冬に行ってみたい。(ただ,フェリーは夏は儲かるので無理してでも出航するが,冬は客がいないのでしょっちゅう欠航するのだという)

今度はいつ

わたしにとってはSさんと礼文,Hさんと利尻は切り離して考えられないものになった。Sさんのいない礼文,Hさんのいない利尻というのは想像がつかない。SさんとHさんにはいつまでも島に住んでいてもらいたいというのは,わたしの勝手で叶いようのない願いである。
しかし島を離れるのがいちばん辛いのはSさん,Hさん本人たちであろう。Sさんによれば,今年の春,礼文高校の先生が島を離れるときわんわん泣いていたという。島ではいろいろ辛いこともあるだろうが,フェリーで島を離れるとき,島の人たちがみんな見送りに来たら誰だって泣いてしまうだろう。見ているだけでももらい泣きしそうだ。来年の春,この別れの風景を見に島へ行ってみようかなと,ちょっと思ったりもしている。

このたびの旅行でお世話になりました礼文島のSさん,利尻島のHさんに心よりお礼申し上げます。

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