青函旅行記

竜飛(一)

木古内8:55→竜飛海底9:42 快速海峡2号


ドラえもん列車の余命もあとわずか。今日が乗り納めになるだろう。それにしてもこの機関車の塗装は秀逸だ。最初見たときは驚いたが,思い切ったことをやってくれたものだ。


海底駅見学整理券・ゾーン539カード。休日の海底駅見学整理券はかなりのプラチナチケットだ。これが取れないことには今回の旅行が成立しないので,1ヶ月前の10時にすかさず確保した。


竜飛海底駅到着。この瞬間,JR北海道の未乗降駅は残り一つ,武佐駅のみとなった。

実は竜飛海底駅の直近数百メートルまでは4年前に一度来ている。そのときは蟹田からバスで竜飛岬まで行って,トンネル記念館からケーブルカーで海底へ降りたのだ。今回はその逆パターンである。

体験坑道駅 今日は鉄道の日 記念館駅

竜飛斜坑線は延長778m。ケーブルカーは鉄道の一種で「日本一短い鉄道」を名乗っており,全国版の時刻表にもきちんと運行時刻が記載されている。「ピコン,ピコン」とチャイムがなる中,斜坑をガタガタ登っていく。

地上に出て,10時15分から11時45分まで90分間の自由行動となった。自由行動といっても,地図も何も渡されていなく,初めて訪れた人はどうしたらよいのか戸惑ってしまう。そこで,係の人が「津軽海峡冬景色歌謡碑」まで案内してくれるという。ここまで来れば岬全体を見渡すことができ,位置関係が把握できる。


津軽海峡冬景色歌謡碑

阿久悠作詞・三木たかし作曲 『津軽海峡・冬景色』

石川さゆりは昭和52年,この曲で紅白歌合戦に初出場を果たしている。歌碑のボタンを押すと,いきなり2番の歌詞が大音量で流れてくる。

ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす

『津軽海峡・冬景色』があまりにも有名なので,竜飛岬がちょっとしか登場しないこの曲の歌碑を岬の一等地に建てたのだろうが,竜飛岬に関してはそのものずばり「竜飛岬」という歌がある。

『竜飛岬』

追いかけて 追いかけて 行けない 恋の 涙集めて 散るしぶき
竜飛岬は 泣きたい岬よ いくら信じて 待ったとて 人の心の 頼りなさ

北国は 北国は 女の肌に 秋と一緒に 冬が来る
竜飛岬は 慕情の岬よ 命縮まる さいはての 夜は寂しく 眠れない

(音源からの聞き書き)

島倉千代子が昭和46年の紅白歌合戦で歌っている。昭和46年といえば青函トンネルの工事実施計画が認可され,いよいよ本工事が開始された年。竜飛は工事関係者でたいへんな賑わいを見せていたことだろう。


津軽海峡冬景色歌謡碑より竜飛漁港を望む。


三厩村営バスの終点「龍飛崎灯台」。青森市交通部が2001年3月で撤退し,村営バスに引き継がれた。青森市交通部時代よりも便数が増え,便利になったようである。また,津軽線蟹田駅−今別駅間については平舘村営バスと今別町営バスが路線を継承している。町村界で200mほど路線が分断されているが,その間を歩けば何とか蟹田からバスと列車を乗り継いで竜飛岬に到達できるようだ。竜飛岬はそうやって訪れたほうが北の果てであるということを実感できてよいと思う。(もちろん,蟹田から津軽線で三厩駅に向かえばもっと簡単に到達できるのだが,ぜひ海岸沿いのバスを利用したい。)

竜飛崎灯台(一般公開)

風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ 
春はいつ来る 灯台守と 
竜飛岬の 女の子
泣いていたいな 霧笛のように 
泣けば思いも 晴れるのに

(音源からの聞き書き)

本当は竜飛岬ではなく襟裳岬で,島倉千代子の『襟裳岬』の3番である。竜飛岬も襟裳同様に風が強いことで有名で,年間平均風速が10m/sを超える。襟裳岬が8m/sだからそれ以上ということになる。しかし,今日は風がまったくない。前回来たときも風がなかった。


竜飛崎灯台より竜飛崎を望む。

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