北海観光節旅行記釧路発鹿児島ゆき 列島縦断の旅

閉伊街道

宮古11:40発→盛岡13:55着 岩手県北自動車 106急行バス

私は全国の鉄道路線で山田線がいちばん好きである。いつか山田線の全駅乗降などやってみたいと思っているが,その前にバスにも一度乗っておく必要があると思った。宮古〜盛岡には山田線と並行して急行バスが走っており,所要時間と運賃は鉄道とほとんど同じだが,鉄道が1日4往復,バスが24往復という本数の差を見てもわかるように,利用者は完全にバスに偏っている。

106急行の106は国道番号であるが,国道106号は一名,閉伊街道といわれる。盛岡までの約100km全区間が北上山地を縫う山道であり,2時間かけて区界峠を越えるというスケールの大きな道である。北海道にもこれほど長い峠道はない。

人生は旅にたとえられるが,旅が人生の縮図だとすれば,私が山田線の風景に感動するのはこの峠道が私の人生とどこか重なるところがあるからだろう。区界峠を越えるのは今回で5度目だが,いずれも宮古から盛岡に向かって越えている。逆の向きに越えるとまた違った印象を受けるかもしれない。


蟇目駅。国道と鉄道は並行しているので山田線の駅もよく見える。列車から見る駅とはまた違った印象を受けた。駅前にはかならずバスの停留所があった。


蟇目〜茂市間。区界峠までひたすら閉伊川に沿う。

この蟇目から区界駅の一つ手前,松草駅まで約50kmの区間は,昭和22年,昭和23年のカザリン・アイオン台風により壊滅的被害を受け,復旧に6年を要している。そのような険しい地形だけに景色は素晴らしい。


茂市にて刈屋川を渡る。この奥,岩泉線が押角峠を越えて小本街道の岩泉に通じている。


腹帯〜陸中川井間。宮古行き「快速リアス」とすれ違う。今日は3両編成の豪華版だ。

この付近から区界峠までの約50kmの区間はずっと川井村の行政区域を通る。広大な村だ。写真だと山ばかりに見えるが,数kmおきにあらわれるわずかな平地に小集落が点々と続いている。北海道ではとっくに廃村となっているようなところにも,まだ人が住んでいるのである。バスで通るとそのことがよりよくわかり,列車の車窓からは気づかなかったがコンビニも何軒か見られた。

箱石の休憩所でトイレタイム。鉄道を凌ぐ交通機関であるだけに,立派な施設を持っている。
宮古〜盛岡間にバスが走りはじめたのは大正2年のこと。全国的にもかなり早い時期にバスが通っているが,当時のバス旅が今のように快適だったはずはなく,実際,災害による長期運休や転覆事故が起こっている。命がけの旅だったに違いない。
山田線が開通した昭和9年にバスはいったん廃止。国道が改良されて,現在のように宮古〜盛岡間がバスで2時間で結ばれるようになったのは昭和53年のことである。


川内付近。宮古行き臨時列車「快速ふるさと宮古」とすれ違う。

この山峡を列車がゆく様子は,この世のものとは思えぬ感動的光景である。山田線は勾配がきつい上にトンネルが多く,顔も衣類も真っ黒になってしまうので"カラス線"と呼ばれたそうだが,山田線を走る蒸気機関車には王者のような風格があり,山田線にこそSLの本命を見たという人もある。1997年10月に天皇陛下を乗せたお召し列車が運転されたのも,まことに光栄なことである。昨年からは線内を走る列車の一部が国鉄色に塗り替えられ,訪れる写真家も増えている。山田線の魅力はほかにもまだまだあるが,私は山田線こそは後世に残す鉄道文化財ではないかと思うのである。


松草を過ぎて区界付近に達すると,両側に続いていた険しい山は消え,さわやかな高原地帯となる。北海道にはないタイプの峠だ。


宮古を出発してから約1時間半経過,山田線最高地点の最高地点の区界駅通過。

標高約740mの区界峠を越えると鉄道と国道は二手に分かれる。鉄道は尾根を2つトンネルで抜けて中津川からさらに米内川へと出るのに対し,国道は素直に簗川の谷を下る。


飛鳥の小盆地を大ループで下り,一気に標高を100m下げる。

宮古から70kmかけて上ってきた峠を30km弱で下るわけだから,盛岡までは転げるように走る。


盛岡まではまだまだ険しい道のりが続く。これなら山田線の大志田あたりのほうがまだ開けている気がする。


13時44分,盛岡駅到着。11分の早着だった。

このあとまもなく,きりんさん一行は盛岡駅13時46分発の山田線「快速リアス」で宮古へ向かったはずである。よいお年を!

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