開運橋から岩手山と北上川を見る。
南部片富士 裾野の原は 西も東も 馬ばかり
岩手県民謡「南部馬方節」より
6月14日にはチャクチャグ馬コという伝統行事が催される。いつか見に来たいものだ。
山岸駅のすぐそばには永福寺という美しいお寺があった。盛岡藩の筆頭寺院だったが明治初年の廃仏毀釈により寺地の大半が失われ,わずかに東坊と墓地を残すのみとなった。それでもここの桜は今回の花見旅行の中でももっとも印象に残るものだった。
今日は平日のため,通勤客が多い。山田線訪問の日を今日にしたのは平日に訪れたかったということがある。山田線は乗客が少ないので廃止もやむを得ないという人がいるが,休日や夏休みに乗ってそれを言ってもしょうがない。
上盛岡駅到着。中高層マンションに囲まれている。
ここから市内を散策しながら盛岡駅へ戻る。
北山寺院群
大寒小寒 山から木枯らしおりて来た
岩手の和尚さん 寒がりで
すっぽりかぶった 白頭巾
それではお里で 踊ろかな
トッピキピーヒャラ ピーヒャラリ
笛っこ吹き吹き やって来た
作詞:矢野亮 作曲:横井弘 歌:三橋美智也「岩手の和尚さん」より
上盛岡駅から東に500メートルほどの一帯は,北山寺院群と呼ばれる。17世紀初頭に盛岡城が築造され,城下町の建設が進められた。このときに領内各地から寺院が移されて,北山・寺の下の2つの寺院街が形成され,城下外縁部の防壁となった。
源勝寺 | 法華寺 | 願教寺 |
北山交差点。ここは寺町通りとして建設省の「日本の道100選」に選定されている。
報恩寺
周辺のお寺の中でもひときわ立派な構えを持つのがこの報恩寺である。岩手は曹洞宗のお寺が多く,仏教系寺院のうち約半数が曹洞宗であるが,ここは曹洞宗寺院の中でも重要な地位を占め,盛岡五山の一つに数えられていた。ここはまた五百羅漢でも知られている。
羅漢堂の公開時間は9時からなので,お参りだけして帰ることにする。
すると係の人がでてきて,五百羅漢を見ていきませんかという。
「まだ早いですが,いいんですか。」
「せっかくこうして来られたのですから,わしらも8時から勤めに出ておりますので見ていってください。」
それではせっかくですから,ということで拝観料300円を払って入る。
これらの羅漢像は京都の仏師9人により1731年から4年かけて制作されたもの。1つ1つの表情を見ていくと静かに時間が過ぎていく。右の写真はマルコポーロ像とフビライ像。
龍谷寺
モリオカシダレという名のこのしだれ桜は樹齢150年の老木で,国の天然記念物に指定されている。龍谷寺は石川啄木の伯父が住職を勤めたこともあり,啄木もしばしばこの寺を訪れたという。
北山寺院群を抜け出し,中心街方面へ歩いていく。
石割桜
裁判所の前にある巨木で,樹齢350年といわれる。大正11年に国の天然記念物に指定されている。エドヒガンというこの種の桜は自生種であり樹齢が長い。また自生種でありながら,ヤマザクラとは異なり葉が出る前に花を咲かせる。
ここから中央通りを西へ歩いて行く。
啄木新婚の家
このあたりはもともと武家屋敷街で,明治時代には江戸時代に建てられたこのような武家屋敷がサラリーマンの住宅として使用されていたようである。啄木が住んだのは明治38年6月4日からのわずか3週間だけ。
さくらと私 その5 「さくらこども会」子どもの頃の私はかなり特殊な環境で育ったと思う。25歳になるまでソフトボールをやったことがなかった。キャッチボールさえもしたことがなかった。その理由はこども会にある。 |