さあ,盛岡3日目の朝,最後の山田線訪問である。
上米内駅到着。これで山田線盛岡〜宮古間の各駅乗降達成だ。
米内浄水場
駅前すぐに米内浄水場がある。
米内浄水場は穴場的な桜の名所として知られ,本数は少ないが見事なベニシダレザクラが見られる。岩手県では最も遅く開花すると言われるだけに,まだ早かった。
上米内駅周辺は昔ながらの農村だが,1kmほど北の丘の上には新興住宅街が広がっている。浄水場の桜見物が予定より早く済んだので1本早いバスに乗ることにした。住宅街の登り口にバス停があったが時刻を確認する時間も惜しいので,急坂を汗だくになって駆け上がる。なんとかバスには間に合ったが,結局さっきの坂の下のバス停で待っていても良かったのだった。
盛岡バスセンター。ここもまた時代を何十年もさかのぼった雰囲気。
盛岡八幡宮
バスセンターから徒歩10分ほど。広々とした神社である。
前回の旅行で,神社を参拝した際には何か買うべしと決めたので,お土産店を物色する。しかしいざ買おうとすると非常に迷う。お守りはどうしても買う気になれないし,神棚もないのにお札を買ってもしょうがない。結局10分くらい迷って,絵馬に決めた。買うとき巫女さんに「ここで書いていかれますか?」と聞かれた。ハッと思った。絵馬は願いごとを書くものなのだ。私は絵馬と通行手形を混同していたのだ。
十六羅漢
八幡宮から3分も歩くと羅漢公園がある。ここは今回特に訪れてみたかったところだ。
南部には大飢饉の歴史がある。有名なのは元禄8年(1695),宝暦5年(1755),天明3年(1783),天保4年(1833)の四大飢饉で,場所によっては人口の半数以上の餓死者を出している。この羅漢像は1837年から1849年にかけて餓死者を供養するために掘られたものといわれ,廃寺跡に石像だけが残っている。
さくらと私 その6 「上原さくら」昭和51年組(昭和51年4月2日〜昭和52年4月1日生まれ)は地味な世代である。狭間の世代だという人もいる。私も同じ歳の人の活躍は気になるのだが,芸能界を見ても昭和51年組にあまり有名な人はいない。 |