北海観光節旅行記北東北観桜紀行

十六羅漢

盛岡8:09発→上米内8:23着 山田線 上米内行き普通列車


さあ,盛岡3日目の朝,最後の山田線訪問である。


上米内駅到着。これで山田線盛岡〜宮古間の各駅乗降達成だ。

米内浄水場


駅前すぐに米内浄水場がある。

 
米内浄水場は穴場的な桜の名所として知られ,本数は少ないが見事なベニシダレザクラが見られる。岩手県では最も遅く開花すると言われるだけに,まだ早かった。

桜台団地8:50発→盛岡バスセンター9:20着 岩手県交通バス 米内団地線


上米内駅周辺は昔ながらの農村だが,1kmほど北の丘の上には新興住宅街が広がっている。浄水場の桜見物が予定より早く済んだので1本早いバスに乗ることにした。住宅街の登り口にバス停があったが時刻を確認する時間も惜しいので,急坂を汗だくになって駆け上がる。なんとかバスには間に合ったが,結局さっきの坂の下のバス停で待っていても良かったのだった。


盛岡バスセンター。ここもまた時代を何十年もさかのぼった雰囲気。

盛岡八幡宮

 

バスセンターから徒歩10分ほど。広々とした神社である。

前回の旅行で,神社を参拝した際には何か買うべしと決めたので,お土産店を物色する。しかしいざ買おうとすると非常に迷う。お守りはどうしても買う気になれないし,神棚もないのにお札を買ってもしょうがない。結局10分くらい迷って,絵馬に決めた。買うとき巫女さんに「ここで書いていかれますか?」と聞かれた。ハッと思った。絵馬は願いごとを書くものなのだ。私は絵馬と通行手形を混同していたのだ。

十六羅漢

八幡宮から3分も歩くと羅漢公園がある。ここは今回特に訪れてみたかったところだ。

 

南部には大飢饉の歴史がある。有名なのは元禄8年(1695),宝暦5年(1755),天明3年(1783),天保4年(1833)の四大飢饉で,場所によっては人口の半数以上の餓死者を出している。この羅漢像は1837年から1849年にかけて餓死者を供養するために掘られたものといわれ,廃寺跡に石像だけが残っている。

さくらと私 その6   「上原さくら」

昭和51年組(昭和51年4月2日〜昭和52年4月1日生まれ)は地味な世代である。狭間の世代だという人もいる。私も同じ歳の人の活躍は気になるのだが,芸能界を見ても昭和51年組にあまり有名な人はいない。
男性アイドルでいえばSMAP,TOKIOは上の世代であり,V6は昭和51年付近を境にトニセンとカミセンが別れている。KinKi KidsやジャニーズJr.は完全に下の世代である。このうち香取慎吾,松岡昌宏,井ノ原快彦がかろうじて昭和51年組に引っかかっているが,昭和51年生まれに木村拓哉のようなビッグアイドルはいないのである。
一方,女性アイドルも少し上にはCoCo,robbonなど一世を風靡したアイドルグループがおり,下にはモーニング娘。がいるが,昭和51年生まれは空白地帯であり,ビッグスター安室奈美恵も昭和52年組である。
そうした中で貴重な昭和51年組のアイドルの一人が上原さくらである。私がこの人を最初に知ったのは1996年上半期に放送された「将太の寿司」というドラマで,当時私は大学2年。主演の柏原崇,共演の木村佳乃も昭和51年組であり,私の青春時代もたぶんあの頃だったのだろうなと懐かしく思う。
上原さくらはその後それほど注目していたわけではないが,NHKジュニアスペシャルに出演していたのが良い感じだったので,毎週楽しみに見ていた。

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