北海観光節旅行記北東北観桜紀行

日高火防祭

北上17:52発→水沢18:09着 東北本線 一ノ関行き普通列車

 

旅の最後は日高火防祭を見物して締めくくる。

まつり見物の客で汽車は混雑していた。お腹もすいてきたが,落ち着いて食べる場所もないので,やむを得ず水沢駅の駅そばを食べる。すごい混みようで,そば屋のおばさん達は悲鳴をあげていた。


はやし屋台の入場を待つ観客。


18時48分,いよいよ先陣のはやし屋台が入場。

 
日高火防祭のクライマックス「相打ち」。言葉で説明するのが難しいが,2台の屋台が向かい合い,互いに競うようにして日高囃しを奏でる。日高囃しは京都風の優雅な旋律で,組ごとに微妙に異なっている。しばらく向かい合って競演したあとは,屋台を回転させて観客に向かって奏でる。先陣はずっとその場に留まり,8基の屋台を次々と向かい打つ。

火防祭は水沢城主17代宗景公が少年時代に江戸の大火を経験したことから,城下に民間消防隊を組織し,日高神社を「火」,瑞山神社を「水」に通ずるとして,両者に火防を祈願する祭事を行ったのが始まりといわれるが,水沢自体も火事の多いところらしい。この祭りはもともと旧正月22日に行われていたが,昭和46年から桜の咲く4月22日に移動し,さらに平成8年からは連休にかかる4月29日に開催されている。しかし観客からは日にちをずらしてから火事が多くなったとの声も聞かれた。


駅前での相打ちを終えた屋台は駅通りに整列し3台,4台での「揃い打ち」を行う。これは圧巻。


はやし屋台は豪華絢爛,晴れ着を着た少女たちはかわいく絵物語のようである。

しかしよくよく近くで見ると,少女たちはあまり生き生きとはしていない。それもそうだろう。まだ色気もない子どもたちがわけもわからずおめかしをさせられて無理やり太鼓を叩かされるのである。3時間も4時間も正座しっぱなしというのもつらいだろう。私もこうした日本的儀式には興味があるのだが,正座ができないために参加できないでいる。

最後に苦言をちょっと。相打ちの後,水沢市長の発声で三本締めが行われていた。市長が発声を行うこと自体は悪くないのだが,マイクを使うのが良くない。一流の祭りはマイクを使わないものである。相打ちが終わるたび,つまり8回三本締めが執り行われるのだが,そのたびごとに「日高火防祭実行委員会会長○○水沢市長による手締めです」とアナウンスが入るのもくどい。優雅な囃しの旋律をかき消すような拡声器の音が祭りを台無しにしていた。

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