2005年7月15日(金)
この日帰宅すると,郵便受けに一枚の葉書が届いていた。驚いている時間もなくばたばたと支度をして,とりあえずその葉書を鞄に入れて駅へ向かった。
さすがは連休前夜,ほぼ満席だった。
この「まりも」は利尻やオホーツクと違って騒がしくないのが良い。南千歳を出るとまもなく車内灯が落ち,静かに暗闇が車窓を過ぎていく。
2005年7月16日(土)
3か月半ぶりの釧路。夜空が白み始めると相変わらず霧がかかっていた。
大楽毛駅を過ぎたあたりに「ようこそくしろへ」の看板が立っている。大楽毛地区の住民が手作りで設置したものだ。
定刻で釧路駅到着。時間があるので駅の近くを散策してみる。
釧路駅から旧国鉄釧路工場への線路跡が散策路となっている。工場跡地は国の合同庁舎などが建つシビックコア地区になっており,その一角に釧路市こども遊学館が7月9日にオープンした。全面ガラス張りで4層吹き抜けの空間に球状のプラネタリウムが浮かんでいるというユニークな建物だ。
線路跡を少し駅側に戻ると釧路朝市がある。市民には和商市場よりもこちらのほうがよく利用されていて活気がある。
市場内のラーメン屋は「えびす家」が繁華街の栄町に移転し,現在では「魚一」が入っている。朝の早くから旅人や商人で満員だった。醤油ラーメンあっさり味550円+ライス小150円。久しぶりの釧路ラーメンに満足。
今日は阿寒湖を回って川湯温泉に宿泊する予定だ。阿寒湖行きのバスは大楽毛から内陸に入るので,列車で大楽毛まで先回りしてみる。
線路沿いにはハマナスやエゾカンゾウが咲いており,ちょっとした原生花園のようである。
大楽毛は馬産地として全国に名を馳せたところ。阿寒川の河川敷には今でも馬が放牧されている。
予想外に足の踏み場もないほど混雑していた。途中釧路空港で1人下車しただけで阿寒市街まで立つことになった。
乗客のほぼ半数は高校生だった。釧路市から阿寒高校に通っている生徒がこれほど多いとは知らなかった。高校生はみな穏やかで美しい顔立ちだった。自然に囲まれた豊かな環境が高校生をも美しくさせているのだろう。
阿寒市街。阿寒町の中心市街は阿寒湖方面と雄別炭鉱方面の道が分岐する場所に位置している。最盛期には2万人を超した人口も今は6000人台となり,今年10月11日付けで釧路市と合併することが決まっている。
バスは国道から妙な脇道に入り,「阿寒町」というバス停に停まった。ここがたぶん雄別鉄道の阿寒駅(舌辛駅)の跡なのだろう。
阿寒横断道路に定期バスが走るようになったのは昭和23年のことで,それより前はこの舌辛ルートが阿寒湖へのメインアプローチだった。舌辛〜阿寒湖間では大正15年にバス運行が始まっており,旅行者は釧路駅から雄別鉄道に乗って舌辛駅で下車,バスに乗り換えて阿寒湖に向かったのである。
丹頂の里で残りの団体が下車した。残る乗客は4名になった。
阿寒市街から阿寒湖畔までまだ45kmもある。下徹別,中徹別,上徹別と,のどかな集落を過ぎるとにわかに山峡に入り,飽別ではいくつかの水力発電所が見える。
いよいよ緑深い阿寒国立公園に入ると,車内にマリモの唄が流れテープによる観光案内が始まった。
滝口にて下車