北海観光節旅行記ディスカバー阿寒

M君の結婚式

摩周11:55発→釧路13:17着 釧網本線 快速しれとこ

釧路へ向かう。

3ヶ月半ぶりの釧路。懐かしいと思うほど時間はたっておらず,かといってもはや日常見ている景色ではなく,妙な感覚だ。釧路の街は何か変わっただろうか。

釧路の街にはいい思い出しかないが,ただ一つ心残りなのは,職場以外で釧路の人に知り合いを作れなかったことである。それでもいつも通っていた床屋とラーメン屋と古本屋の人くらいは顔を覚えていてくれるだろう。

豊文堂書店本店

駅裏の古本屋「豊文堂」。北海タイムス創立25周年記念の「日本鉄道全図」(3500円)と『阿寒国立公園の三恩人』(800円)を購入。ここの社長さんはいつも「これは珍しい本ですよ〜」と言って本を袋に入れてくれる。何を買ってもそう言うのか,私が珍しい本しか買わないからなのかわからない。

次はラーメン屋である。30軒以上食べ歩いた釧路のラーメン屋の中で,特に好んで通っていたラーメン屋が2軒ある。今日はそのうちの1軒,愛国の豪壱を再訪してみる。

道銀14:07発→愛国小学校14:07着 くしろバス 65美原線

通勤で使い慣れたバス。くしろバスはもとの東邦交通で,昭和28年に郊外線部門を阿寒バスとして分離し,市内線の運行を担ってきた。1989年に社名をくしろバスに変更。

ようやく両替機が新札に対応するようになったようだ。

豪壱

札幌に来てから,うまいラーメン屋がなくて困っている。正直に言えばおいしい札幌のラーメンもある。しかし,札幌ラーメンは体に悪そうなのだ。

最近私は,犠牲を伴う快楽は本当の幸福とはいえないのではないかと考えている。他人に迷惑をかける旅行はいくら楽しくても幸せな旅行とはいえないし,排気ガスをまき散らして摩周湖を見に行っても本当に美しい摩周湖は見ることができない。食事にしても,いくらおいしくても体に悪いものは真においしいとはいえないのではないか。

そういう意味で釧路ラーメンは真においしいラーメンといえる。釧路のラーメンは体によいのだ。釧路2年目の冬に釧路ラーメンのスタンプラリーが開催され,多いときは週末で4食もラーメンを食べた。太るかと心配したが,まったく太らずかえって体の調子が良くなった。週に数回ラーメンを食べるようになってから風邪も引かず,口内炎のようなものもできなくなった。

ここ豪壱はもともと釧路で住んでいた独身寮の近くにあって,必ず週に1度は食べに行っていた。昨年10月にラーメン激戦区の愛国に移転したが,場所のわかりづらさは相変わらずである。それでも評判を聞きつけて休日は訪れる人が絶えない。

店に入ると親方と奥様が驚いた様子で私のほうを見た。

親方はもとホテルの料理人だったといい,技巧に富んだラーメンは芸術的作品の香りすらする。

今日は迷わず味噌ラーメンを注文。ここの味噌ラーメンはまったく独特のものだ。同じ味噌スープを使ったネギラーメンやチャーシュー麺,坦坦麺もあるが,既に味噌ラーメンが完成された味であるため,何もトッピングしない普通の味噌ラーメンがいちばんおいしいと思う。

帰り際,札幌に引っ越したのでなかなか来られなくなった旨伝えて店を後にする。

愛国電話交換局15:08発→栄町6丁目15:20着 くしろバス 65美原線

バスで再び中心街へ。

丸井今井釧路店

釧路唯一の百貨店,丸井今井釧路店。地場の百貨店・丸三鶴屋の閉店を受けて,1996年に釧路に進出している。

6月25日付けで,来年8月で釧路店を閉鎖する旨のお知らせが掲示されていた。

私自身釧路にいたときは衣料品のほとんどを丸井今井で購入していた。たしかにいつ行っても閑散としており,儲かっていないのは明らかだった。

2003年11月には丸井今井に隣接してパステルパークという立体駐車場がオープンしたばかり。丸井今井とは渡り廊下でつながっているが,買い物客の増加には貢献していないようだ。

正面玄関前ではリヤカーに魚を積んきて売っている商人がいる。こうした風景も丸井今井だからこそ似合う。

丸井今井で売っているものはやはりジャスコやボスフールと格が違うし,全国名産品店や工芸品の展覧会など百貨店ならではのイベントも開催している。釧路から丸井今井がなくなることは釧路から文化と名のつくものが何もなくなるのと同然である。20万もの人口を要しながら地域ただ一つの百貨店すら維持できないのは情けないことだ。

北大通ポテト街道

北大通は仕事帰りに毎日のように歩いた思い出の道である。

かぼちゃ いちご トマト じゃがいも

今年初めての試みとして,駅前北大通の花壇に野菜が植えられた。霧の釧路で野菜ひょろひょろと弱々しくかろうじて生き延びている姿は見ていて気持ちの良いものではない。

豊文堂書店北大通店

丸井今井大通り店の本屋がなくなってから仕事帰りに立ち寄る場所がなくなって困っていたところ,2003年の初冬にこの古本屋がオープンした。

ジャンルは北海道郷土史,鉄道,音楽,民俗,と私の興味にぴたりとはまる取りそろえで,毎日のように立ち寄り,そのたびに何かの本を買った。また立ち寄るたびに何か新しい発見がある古本屋でもあった。

久しぶりに店に入ると,やはり店長が驚いた顔でこちらを向いた。

M君の結婚式

さて,18時からは今回の旅行の本来の目的であるM君の結婚披露宴である。

M君とは小学校,中学校,高校が同じで,釧路でまた職場がまた同じになったという因縁の友人である。独身寮で6年ぶりにばったり顔を合わせたときには本当に驚いた。

M君はいい男だから,結婚するのは当たり前だと思う。素直におめでとうと言ってあげたい。

披露宴にはA君夫妻も来ていた。A君は隣町の農家出身で高校,大学・大学院,職場が私と一緒,奥さんとも大学院と職場が一緒である。

今回の旅行の出発前に届いていた葉書は実はA君からのものであった。この6月で4年勤めた仕事を辞め,酪農を始めることにしたという内容だった。

あまり突然のことで驚いたが,A君のことだからきっとずっと前から計画していたに違いない。同僚として仕事を辞めたのはショックだったが,A君が農業を始めるというのはうらやましくもあり嬉しいことでもある。

うらやましいというのは,やはり農業というのは汗水垂らして働ける生産的な仕事だからである。我々月給取りはときどき何のために働いているのかわからなくなることがある。しかし農業は,何が正しくて何が間違っているのかわからない世の中にあって,一つの正しい職業なのだと思う。

嬉しいというのは,実は私も高校の途中まで農学を志していて,3年の途中で工学に転向したしたのだが,それはA君が農学部への進学を固めたのが一因で,北海道の農業のことはA君に任せておけば大丈夫だと思ったからである。地で農業を行くという期待どおりの活躍を嬉しく思うのである。

恐らく2,3年後には講演会やテレビに引っ張りだこになっていることだろう。実際は大変なこともあるだろうが,今後の活躍を期待している。

 

2次会は栄町の洋風居酒屋に場所を移して,釧路時代の同僚と歓談。新婦は病院勤めで同僚もたくさん来ていたが,仲良くなることもなかった。

まりもで帰ることにしていたので,途中で退座する。新郎新婦が丁寧に出口まで来て見送ってくれた。次はお前の番だぞと。

釧路23:00発→札幌5:50着 特別急行まりも

かつて,市内のホテルで結婚式を挙げた夫婦は,このまりもで皆に見送られて新婚旅行に旅立つのが定番だった。そのためこの列車は別名「新婚旅行列車」と呼ばれていた。発車時刻が近づくと「マリモの唄」「釧路の駅でさようなら」「蛍の光」が流れてムードを盛り上げ,ベルとともに発車した。

それが今では夜行列車に乗るといったら,葬式の帰りだとか,親が危篤で駆けつけるところだとか,何かしら事情のある人である。

唄もベルもなく静かに発車,足かけ3泊4日の旅行は終わった。

旅行記終了。読んでいただきありがとうございました。

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