北海観光節旅行記それでも僕は東北へ行く

旅立ち

2006年12月29日(金)

前の晩は職場の忘年会だった。年末年始の動静表を見た上司が「お前,道外ってどこへ行くのよ」と聞くので,「東京方面です」と答えた。話はそれで終わり。

「でもなぁお前,旅ってのは現実逃避だぞ。誰も行きずりの人になんか腹を割って話してはくれないんだ。お前に足りないのは,人を満足させる心だと思うんだ。人を満足させるにはどうすればいいのかということを勉強しなくちゃいけない。それには料理がいちばんいい練習になるんだ。どうだい,お前も蕎麦を打ってみるか!」

へい,まったくその通りでございます,と心で深くうなずきながらも,わたしは旅に出るのである。

琴似9:02発→新千歳空港9:46着 快速エアポート90号

改札で赤い青春18きっぷに日付を入れてもらう。駅員さんに「今日はどちらまで?」と問われ,「東京のほうまで」と答えると,「そりゃどうもご苦労様です」とねぎらいの言葉をかけられた。

年末の帰省ラッシュを迎えた新千歳空港。それでも新千歳発の上り便には空席があって,意外と静かである。

新千歳空港10:10発→羽田空港11:45着 北海道国際航空16便

出発時刻の10分前には乗客の搭乗が完了し,定刻より早くタラップを離れた。東京は晴天のようだ。

羽田空港第2ビル12:00発→天王洲アイル12:14着 東京モノレール 快速浜松町行き
天王洲アイル12:22発→新宿12:43着 りんかい線・JR埼京線 快速川越行き

羽田空港にはやや遅れて11時50分到着。いちばん端のブリッジに着いたので,モノレールの乗り場までは遠かった。走って走って,何とか12時発のモノレールに間に合った。

天王洲アイルのモノレールとりんかい線の乗り場は,同じ駅とは思えないほど離れていた。いったん外に出て交差点を渡り,エスカレーターを何本も乗り継いで地底深くまで潜っていったところにりんかい線のホームがあった。

新宿13:10発→東高円寺13:17着 地下鉄丸ノ内線 荻窪行き

新宿で少し買い物などした後,地下鉄丸ノ内線に乗って東高円寺駅下車。地上に出たところは新宿と甲府を結ぶ青梅街道だった。

やくよけ祖師 妙法寺

今年1年を振り返ってみれば,インターネット通じての出会いがたくさんあった年だった。

ネットワーク上で知り合った人達が,現実世界で実際に集まって親睦を行うことをオフラインミーティング,略してオフ会と呼んでいる。オフ会という響きには,わたし自身まだ偏見を持っており,不健康そうなオタク集団が非生産的な茶飲み話に興じているというような印象をどうしても拭い去ることができない。

ところが実際のオフ会の参加者は,マニアやオタクというレベルを超えた専門家が多く,わたしのような怠惰な日常を過ごしている者にとっては,非常に刺激的であり,勉強になる機会なのである。そもそもわたしは人と会ったり食事をするというのが大の苦手なのだが,得られるものが大きいので,苦手を押して積極的に参加するようにしている。

2月25日に開催されたなまら北海道だべさ主催のオフ会は,全国から鉄道ファンが集まって,廃線間際のふるさと銀河線に臨時列車を運行させたすごいイベントだった。6月24日の沿岸バスの「三炭周遊観光ツアー」では各方面の専門家の方々と知り合うことができた。11月には市電を貸し切ってのオフ会もあった。そのほかにも,数名規模のオフ会が何度かあり,滝の専門家や北海道を徒歩で一周している方など,その道を極めている方と出会うことができた。


沿岸バスの三炭周遊観光ツアーの帰途,バスの車中で参加者一人一人がマイクを持って感想を述べる機会が与えられた。わたしは羽幌炭坑全盛時の映像に三波春夫先生が映っていたということを話した。

すると,参加者の一人が,

「三波さんのお墓に行ったことはありますか? あまり訪れる人もいないので,ぜひお参りしてあげて下さい」

と言った。

今日こうして妙法寺へやってきたのは,そういうわけである。

妙法寺は鉄門が国の重要文化財に指定されているほか,広大な境内に数々のお堂が建つ由緒あるお寺である。

墓地は境内の裏手にあり,その真ん中ら辺に三波春夫先生のお墓があった。「昭和43年10月,施主北詰文司(注:三波先生の本名)建立」とあったから,東京五輪から大阪万博にかけての絶頂期に建立されたものである。

先生は戒名・大乗院法音謡導日春居士となり,昨年亡くなられた奥様と一緒に墓碑に名が刻まれていた。

今年はNHK-BSで「昭和歌謡黄金時代〜三波春夫と村田英雄」が放送,NHK-FM日曜喫茶室「忘れられない父との時間」の回に長女で三波クリエイツ代表の八島美夕紀さんが出演,またNHK教育テレビ「知るを楽しむ」で「私のこだわり人物伝-三波春夫」が4回シリーズで放送されるなど,一段と注目を集めた年だった。

 

ちなみにこのお墓のことは,『お墓参りは楽しい』(朝日新聞社,2005)という本に載っている。著者は「千の風になって」を訳詩した新井満さんで,新井さんは三波先生最後のシングルとなった「富士山」の作詞者でもある。

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