北海観光節旅行記8割方TOKYO

八割方TOKYO 2009.12.29〜2010.1.1

2010.1.17 旅立ち〜大島公園作成
2010.1.24 海岸遊歩道〜伊豆長岡温泉作成

歴史とは本来,親から子へ,子から孫へと語り継がれるものだと思う。しかし,私の両親や祖父母は昔を語らない人であった。昔を知らないということが,長い間,私のコンプレックスであった。

思い立って,昨年(2009年)の1月,90歳になる大叔母を仙台に訪ねた。そこで大正の末から十勝岳の噴火を経て戦争に至るまでの暮らしを初めて詳しく聞くことができた。

「ところで,昔はレコードなんか聴いたものですか?」
「ええ,聴きましたよ。あんたの爺さんは歌が好きだったでしょう。『島の娘』が好きでね。レコードを借りてきて,私に『いいだろ』って何度も聴かせるの。だけど私は音楽のことがさっぱりわからないから」
「『島の娘』って,あの勝太郎さんの?」
「そう,小唄勝太郎。あと聴いていたのは市丸さんね」

「島の娘」のヒットは1933年(昭和8年)だから,祖父が16か17の頃である。祖父はまさに「市勝時代」(「勝市時代」ともいう)の人だったのだ。

そんなことはまったく知らず,私自身,学生の頃から市丸さんや勝太郎さんの歌を好んで聴いていたのだが,この話を聞いて一気に身近に感じられるようになった。

さて,「島の娘」といえば,伊豆大島である。そこで,今回の旅行ではまず大島を訪れることにした。そのあとは,未踏の地である伊豆半島を巡ることにした。帰りは,山形の羽黒山で年越しをする予定だったが,風雪による列車の運休で,予定の変更を余儀なくされた。

結局,伊豆の一部と盛岡を除けば,訪れたところの8割方は東京という,東京づくしの旅行になってしまった。

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