北海観光節旅行記東日本縦断旅行

旅立ち

2010年12月28日(火)

旭川20:00発→札幌21:20着 特急スーパーカムイ46号

新しくなった旭川駅。いろいろ言いたいことはあるが,全面オープンまでは様子を見てみる必要もあると思う。

はまなすに乗るには,次のスーパー宗谷でも間に合うのだが,駅員さんに勧められて,20時発のカムイにした。いつになく順調な旅行の始まりである。直前に指定券をカムイに変更したが,自由席のほうが空いていた。

札幌22:00発→青森5:40着 急行はまなす

旭川空港から羽田へ,今年も数えてみると24回へ東京飛んだ。そんなこともあり,飛行機を使ったのでは日常の気分が抜けないので,本州へは列車で行こうと決めていた。

今日の急行はまなすは,B寝台3両,指定席6両,自由席3両の,堂々12両編成。

B寝台に乗車する。快速ミッドナイトの自由席も懐かしいが,さすがに旅に出会いを求める若者たちとは世代が違うという気がしてきた。先は長いので,今夜は静かに寝台で過ごそうと思う。

本来特急用の24系寝台車は,レールの音も聞こえないくらい静かだ。22時25分,ようやく車内改札が来た。車掌の呼び声に応じて,カーテンの隙間からシュッと寝台券と乗車券を差し出す。こんな情景も,あとどれくらい見ることができるだろうか。

編成が長いため乗降に手間取り,徐々に遅れが生じた。

苫小牧に到着する直前の22時59分,ようやく消灯した。


2010年12月29日(水)

5時32分,目覚ましの車内放送がかかる。下り北斗星の遅れのため,青森駅には7分遅れで到着した。

青森5:46発→新青森5:52着 特急つがる2号

急行はまなすは青森駅が終着。東北新幹線は奥羽本線の新青森駅で乗り換えとなるので,秋田方面に向かう人も,八戸方面に向かう人も,まずはこの特急つがるに乗り換えることになる。

ホームは跨線橋を渡った3番線で,12両編成のはまなすから所定の6分で乗り換えるのは無理がある。遅延はさらに拡大して9分遅れで発車した。

特急つがるは4両編成で,2両のみの自由席は混雑していたが,かなりの人が新青森駅で下車した。

新幹線乗り換え口。今青森に着いたばかりなのに,「青森へまたお越しください」とは気が早い。

東北新幹線の始発まで時間があったので,外に出てみたが,駅舎の周りは閑散としていた。駅舎もだだっ広いだけで,蛍光灯の白い光が寒々しかった。この駅舎を見ると,旭川駅の新駅舎も悪くはないと思った。

駅弁は八戸駅のようなコンビニ方式ではなく,売店方式だったので回転が悪く,長い列ができていた。

新青森6:31発→大宮9:28着 東北新幹線 はやて12号

12月4日に新青森まで延伸した東北新幹線に初めて乗車する。出発前に何人かに行き先を問われて,とりあえず延伸した東北新幹線に乗ってみるというようなことを答えた。そうした旅行の口実として新幹線の延伸は便利だが,実際のところ関心はそれほどない。

はまなす接続便に関して言えば,札幌発時刻も東京着時刻も以前とまったく変わっておらず,新幹線の延伸は何の恩恵ももたらしていない。今回の旅行で帰路に利用する,下りの東京発,札幌当日着最終便も同様である。

新青森から八戸までは,ほとんどがトンネルである。車内販売員がマイクで何かをしゃべっていたが,トンネルの騒音で何も聴き取れなかった。毎日こういう無駄なことを繰り返しているのだろうか。

大宮9:46発→高崎10:10着 上越新幹線 あさま511号

大宮からさらに新幹線を乗り継ぎ,一路高崎へ向かう。1年前のダイヤでは高崎に10時01分に到着し,赤城山に午前中に到着することが可能だったのだが,ダイヤ改正によって高崎着が9分遅くなり,これによって列車とバスの接続がガタガタに崩れ,赤城山到着が以前より3時間近くも遅くなった。

12月末だというのに,畑は青々としていた。

 

高崎駅到着。甘いカレーを早めの昼食とする。

高崎というと,あまり観光のイメージはなかったが,駅の中に立派な観光案内所があった。

赤城山へは急いでもバスがないので,高崎で小休止をする。

駅の観光案内所で「観音山まっぷ」をもらい,まずはタクシーで温泉に向かった。

「錦山荘へ」と頼むと,「忘年会ですか」と聞かれた。連れ込み宿が建ち並ぶ坂道をしばらく行き,最後は「雪が降ったらアウトだよ」という急坂を一気に登ると,趣深い和風の旅館があった。

 

日帰り入浴は650円。仲居さんに湯銭を払い,ミシミシと音が鳴る長い階段を上ると湯殿があった。

鉱泉らしい深い色をした湯は気持ちが良く,思わず,温泉ってのはいいなぁと唸りたくなった。

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