本山坑への道が分岐する赤倉のロータリーに戻ってきた。バスの発車時刻まであと10分あまりで,本山坑まで行くには時間がないが,行けるところまで行ってみようと思う。
製錬所の前に架かる古河橋。明治23年にドイツから鉄骨を輸入して架橋されている。
本山動力コンプレッサ室。ここでは鑿岩機などの動力に使用する圧縮空気を作り,鉄管で坑内の使用箇所に供給していた。
この道をあと300メートルほど進むと,本山坑跡に着くはずである。本山は足尾銅山の中でも開発の歴史が古く,主力の銅山だったが,昭和48年の閉山後は完全なゴーストタウンになったという。
4時間あまりの足尾探訪はここで終わりとし,バスで日光へ向かう。
日足トンネル。
日光はさすがに賑やかである。
東武日光駅に到着。日光はちょうど6年前に訪れているが,そのときの印象が悪かったので,今回はさっさと通過しようと思っていたが,ここまで昼食を食べられずに来たので,列車を1本遅らせて食事を取ることにした。
とりあえず,駅前の派手な食堂で,野菜炒め定食を頼んだ。
あとは宿を取っている檜枝岐まで,列車とバスを乗り継いで向かうだけである。
2面4線のホームを持つ下今市駅。
下今市駅では駅弁の立ち売りがあった。ただ,売り方の姿勢があまりきれいではなく,誰も買う人はいなかった。
列車ははじめ乗客が少なく,しばしのんびりとした列道旅行を楽しめるかと期待したが,鬼怒川温泉から大量に乗客があり,車内は満員になった。温泉客には見えなかったので,浅草始発鬼怒川温泉行きの特急「きぬ」からの乗り換え客だろうか。
東武鉄道の終点・新藤原駅。ほとんどの乗客がホームの向かい側に停まっていた野岩鉄道の列車に乗り換えた。
川治温泉。
車内は7割程度の席が埋まっていた。観光客なのか,帰省客なのかわからないが,車内で堂々と携帯電話で話し続けている人が複数いて驚いた。最近では都会であれ田舎であれ,このようなことはめったにない。
新藤原駅発車直後から車内改札が始まった。改札専任の車掌が回っていたが,先頭車両まで来るのにやや30分近くかかった。みなPASMOやSuicaで乗車しているのである。たまに間違ってPASMOやSuicaで乗り過ごしてしまった人がいるのならわかるが,みんながみんなとなると,ほとんど廃人の集団のようである。しかも,ほとんどの人が1万円札で支払いをしていたのだからたちが悪い。
列車は川治湯元,湯西川温泉,中三依温泉,上三依塩原温泉口と停車し,それぞれ数名ずつ乗客を降ろしていった。
会津高原尾瀬口駅に到着。いかにも高原の駅といったすがすがしい雰囲気だった。
駅舎の中は思いのほか混雑していた。
駅前には趣深い茶屋があった。
階段を降りたところには会津高原駅プラザ憩の家というお土産屋があり,ここもなぜか大変賑わっていた。