北海観光節旅行記東日本縦断旅行

羽黒山松例祭

庭上の焚き火に集う参拝客。今日は夕方からここで松例祭(しょうれいさい)の祭事が行われている。手向地区より「位上(いじょう)」「先途(せんど)」と称する松聖(まつひじり)2名が選ばれ,9月24日から籠り行を行う。そして100日目の満願を迎えて行われるのが松例祭である。

22時49分,4本の引き綱が若者衆に担がれて庭上に入ってきた。引き綱は,悪魔に擬した「ツツガムシ」をかたどった2本の大松明に結びつけられた。

手前が先途方,奥が位上方。松例祭は,修験者の験競べ(げんくらべ)と,村の年中行事が混合したもので,両者の境界は曖昧である。

このとき本殿では,12人の山伏が先途方,位上方に分かれて「烏とび」「兎の神事」の験競(けんくらべ)が行われている。烏は羽黒権現の使いを,兎は月山権現の使いを現すという。

23時2分,験競の勝敗が決したと見られ,本殿から法螺貝(五番法螺)の音が聞こえた。それを合図に一斉に大松明が引き出された。

大松明は砂はき行事で掘られた穴まで引かれ,このときの遅速,火の具合によって勝敗が決められる。位上方が勝てば翌年は豊作,先途方が勝てば豊漁とされる。

勝ったのは先途方だった。松明の火の粉を浴びると御利益があるといい,参拝客は松明のまわりに集まっていた。

このあと,午前0時からの国分神事まで,しばし休憩。

2446段の石段が続く,羽黒山表参道。前回はこの参道を登って参拝したが,今年は雪が多くて歩ける状態ではなかった。

ここから少し参道を下ったところに,縁結びに御利益があるとされる埴山姫神社がある。たしかに御利益はあり,振り返ってみればこの7年の間には,身に余るいくつもの素晴らしい縁があったように思うが,いまは参拝したい心境にない。むしろ縁を生かすことができなかったことを懺悔したい気持ちでいっぱいである。

一度境内を出て,お土産屋をのぞいてみた。

紅白歌合戦は大トリのSMAPが登場していた。

具のたっぷり入った豚汁がおいしそうだったので,一杯いただいた。

23時45分,除夜の鐘突きが始まった。梵鐘は鎌倉時代,鐘楼は江戸時代初期のもので,いずれも国の重要文化財に指定されている。

出羽三山神社の初詣を待つ人の長い列ができていた。

 

2011年1月1日(土)

本殿のほうからは,新しい年を祝う,若者たちの歓声が聞こえてきた。

一方,庭上では粛々と国分神事の段取りが進められていた。風はなく,50メートル先の焚き火の音がパチパチと聞こえてくるような静けさの中,神事の解説を行う年輩の男性の飾り気のない語り口が,厳かさを増していた。

大目付と呼ばれる役者が,縄の長さを測り,所司(羽黒権現)と山伏(熊野三所権現と彦山権現)の立ち位置を決める。

 

定尺棒と呼ばれる丸太を挟み,33間の距離をおいて向かい合った所司と4人の山伏が,独特の所作と問答を繰り広げる。この間,約30分。

「国分神事」は羽黒山と熊野,彦山の領国を定める検地の神事。日本66か国を3分し,羽黒山が東33か国,熊野が西の24か国,残りを九州英彦山が分かち合い,それぞれの山伏を支配することを確認する。

最後は境界設定に用いた定尺棒を神前に投じて終わり。

引き続き,0時40分,「火の打替神事」が始まった。これは,諸々の不浄を祓い浄めて,新たな火を鑚(き)り出す神事。まず,4人の役者が大松明(鏡松明)の火をそれぞれの小松明に移し,「松明行事」を行う。

その後,位上方,先途方各1人の松打(まつうち,新しい火を作る役)が,役者を前後に伴って,鏡松明の周囲を3度回る。

 

松打は回り終えると同時に,稜持(かどもち,火薬をうすくした液を入れた皿を持ち火を受ける役〉のところに走って行き,競って火を鑚り出す。その遅速でやはり,豊作と豊漁が占われる。

このあと,神職が補屋に行き,両聖が100日間祈願を込めた稲魂を昇進し,松例祭のすべての神事が終わる。

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