七色分岐で標高450mまで降りているが,さらに350mほど下らなければならず,油断できない。足はもうガクガクである。
こんなところで行き倒れになってはどうしようかと思ったが,いまだに誰とも会っていない。ということは,ひょっとすると自分が行き倒れになるより,行き倒れた旅人に会う可能性のほうが高いように思われて,ぞっとした。
12時37分,ようやく人家が現れてほっとした。
さらに10分ほどで,国道の八木尾バス停に到着。熊野古道は,ガイドブックに書いてある所要時間もまちまちで,時間が読めなかったが,約10kmを4時間余りの行程だった。
振り返って,正面の山を小辺路はいきなり越えていったのである。それでも,この雨の中,結局それほど危険に感じるところはなかった。これももともとが生活道路だったからで,鬼峠に通じるものがあると思った。
海のように広い熊野川の川原。いまはダムで水量が少ないが,かつては船や筏の中継地としてにぎわったところだという。
船着場のあった萩の集落にはひととおりの商店があって,十津川村へは萩から果無峠を越えて物資が運ばれたという。
13時11分,道の駅奥熊野古道ほんぐうに到着。
道の駅の駐車場に,ようやく東屋があって,ホテルで用意してもらった弁当を食べた。
駐車場から出ていく車に乗っていたお婆さんが,何かほっとした様子でこちらを見ていた。熊野とはいえ,国道は自動車が轟音を立てて行き交う殺伐とした景色だったが,その中で,このずぶ濡れで弁当を食べる姿が少しでも風情を加えることに貢献したならば本望である。
13時40分,道の駅を出立。小辺路はわずかばかり国道を通り,平岩口バス停から再び山に入る。
車道と熊野古道が立体交差する場所に出た。橋桁には「この上熊野古道」と書かれていた。ここで小辺路は
名前のとおり,かつては三軒の茶屋があり,熊野詣での人たちで中辺路銀座と呼ばれるほどの活況を呈したという。
ここで初めて古道巡りの観光客に会ったが,車で茶屋跡を訪れて煙草を吸っているような,ふしだらな家族連れだった。
この先本宮までは,熊野古道の大通りとでもいうべき,最も通行者の多い区間である。
それだけあって,警察や消防の電話番号を書いた道標も整備されていた。
しかし,必ずしも歩きやすい道とはいえなかった。
案内板のあった見晴らし台もこの天気では期待できないので通過する。
クライマックスは,少し残念な住宅街の舗装道路だった。
本宮大社の直前にあった,
そして,ついに熊野本宮大社へ。