熊野那智大社一の鳥居。鳥居には那智山熊野権現と書かれてあった。熊野権現とは神仏習合の思想のもとで崇められてきた熊野三山の神々であり,熊野那智神社と称するようになったのは明治初年の神仏分離後だという。
境内に入ってからもさらに石段を上り,二の鳥居へ。
拝殿。それほど混んでおらず,落ち着いて参拝をすることができた。大きなクスノキは平重盛の手植えと伝えられ,樹齢約850年になるという。
授与所。巫女さんが学校名,学年などを書いた名札を付けていたのは珍しかった。「勝守」はなでしこジャパンが持っていたそうで,見た目もいいなあと思ったが,「勝」というのが性に合わない気がして,授かるのは遠慮しておいた。
宝物館も開いていたので見学した。絵馬の蛇の絵は宮司自ら手描きしたものだという。
熊野那智大社のすぐ横にあった那智山青岸渡寺。天下の那智山でさえ,神社とお寺が並んで建っているのだから,仏間に神棚があってもおかしくはないのだろう。
青岸渡寺本堂の横には,出店もあった。
青岸渡寺の境内から那智の滝を望む。これはすごい。熊野那智大社も青岸渡寺も,根源はこの滝にある。
那智の滝へと石段を下っていく。石段はお滝道といい,鎌倉時代に作られたものだという。
マイカーで訪れた一般の参拝客はここから歩く。
さらに延々下る。下りはやっぱり足が痛い。手すりにつかまってやっとのことで下りる。
那智の滝は飛瀧神社とも呼ばれ,社殿はなく,滝自体がご神体となっている。
お瀧拝所への参拝は別料金となっていた。これはやっぱり行かないとならない。
2000年の歴史の重みの一方,自然の生々しさを感じられる場所でもあった。
さて,ゆっくりと2時間ほど歩いて,バスの時間が近づいてきた。那智山のバス停まで戻るには,時間がやや厳しそうだったので,那智の滝前でバスを待つことにした。
バス停の前には,バスを運行している熊野交通の売店があった。お腹が空いてきたので,だんごかおやきでもあればと思ったがそういうものはなく,売り子さんにすすめられたのは賞味期限が3か月もある黒飴餅だった。
早速,バス停のベンチに座って食べたら,まわりがきな粉だらけになった。もしバスの中で食べていたら大変なことになっていた。