展望台にはハート形の灰皿があった。中には吸殻があったから,訪れる人はいるのだろう。
期待していた,展望台から集落に降りる近道はなく,また延々同じ道を引き返すことになった。県道から上り始めたのが11時45分,戻ってきたのが12時25分。半分くらい走って40分を要した。
県道を今度は海側に外れ,祖納の集落に入る。
祖納は東部の古見に次ぐ古い集落で,1771年の明和の大津波で古見が壊滅的な被害を受けてからは,西表島の中心的な位置を占めるようになった。
国指定の重要無形民俗文化財「
立派な石垣に囲まれた神殿のような広場は何だろうか。
のどかな菜園。
県指定有形文化財・新盛家住宅。沖縄県内に現存する最古の木造茅葺き民家だという。
古い石垣が続き,集落の中でも特別の雰囲気を感じる道。神が通る道だという。
スーパー星砂。西表島にコンビニはないが,集落に1つはこのようなセルフサービスの店がある。船浮ぱんもここで売っているらしい。
西表小中学校。竹富町内の学校は,基本的に見た目が美しい。
子午線モニュメント。白浜にあったのと同じく,東経123度45分6.789秒にちなむもの。
与那田橋を渡る。早くも1718年に石造りの橋が架けられている。
河畔には美しいマングローブが続く。このあたりは国の天然記念物に指定されている。
西表島では集落から少し外れるとこのような原始的な自然が残っている。人口は約2300で,人が住んでいるところは島のほんの一部に限られている。年中暖かく,自然に恵まれ,水の心配もなさそうな島なのだから,もっと昔から人が住んでいてよいのではないかと思ったが,実は人間にとっては暮らしづらい島だったらしい。
その第一の原因は,マラリアである。戦後間もなくまではマラリアが蔓延し,廃村と強制移住を繰り返してきた歴史があったという。北海道でも,松浦武四郎の『アイヌ人物誌』などを見ると,アイヌは病人だらけだったように見えるが,西表のマラリアほどに深刻な風土病があったという話は聞かない。亜熱帯ゆえ自然が強すぎるのも人間にとっては生きづらいのだろう。大量の燃料を焚いて北海道で暮らす意味とは何なのだろうかと思うことがあるが,燃やす木には困らなかったであろう,アイヌ時代の北海道は,意外と暮らしやすい場所だったのかもしれない。
再び県道を海側へ外れ,
干立も,苔むしたサンゴの石垣が続く,美しい集落だった。
天然記念物・星立天然保護区域の碑。当初は1959年に琉球政府の天然記念物指定されている。