[北海観光節]  [北海道駅前観光案内所]

函館本線 その3

[長万部→小樽]


「全国レクリエーション鉄道地図」交通協同出版,1960

函館本線[長万部→小樽]の概要


●歴史

明治29年5月交付の北海道鉄道敷設法で予定線に組み入れられた函館−小樽間だが,工事は遅々として進まなかった。しかし,中国大陸で南進策をとるロシアとの争いが近づき,政府は明治35年になって1マイル8000円の補助を出すことを条件として,同38年までに全線を開通させるよう北海道鉄道会社に命じた。そうして,日露戦争のさなか,明治37年10月に熱郛−小沢間が開通し,函館−小樽間が全通した。支線の岩内線は大正元年,胆振線は昭和16年に全通。
昭和32年,急行大雪の牽引機に北海道で初めてC62を充当。山線内では重連で牽引し,SLブームを賑わせたが,C62重連は昭和46年9月廃止。
しかし,急勾配と急カーブの多い線形は輸送効率が悪く,昭和3年に長万部−東室蘭間の長輪線が開通してからは徐々に幹線の地位を「海線」に奪われていく。
長万部から室蘭本線を経由する特急おおぞらは昭和36年に誕生したが,山線初の特急は昭和42年3月に誕生した「北海」。しかし室蘭本線の改良に伴いますます山線の地位は弱くなり,昭和61年11月改正で特急北海と急行ニセコが廃止,山線は優等列車の走らないローカル線となった。また,岩内線が昭和60年6月30日に,胆振線は同61年10月31日に廃止,
すっかり寂しくなった山線だが,昭和63年4月,C62-3が復元されC62ニセコ号として運転開始。再び全国からのSLファンで賑わった。1995年11月に運転を休止したが,2000年10月にはC11-207がSLニセコ号として運転を開始した。
1999年11月の礼文浜トンネル崩落,2000年3月〜6月の有珠山噴火の際には,特急列車が山線を迂回した。

●車窓

途中熱郛−目名,倶知安−然別,蘭島−小樽は20‰級の大きな山越えとなる。道内有数の豪雪地帯でもあるため,線路際には防雪林が続き,車窓はあまり晴れない。それでも,蘭越から倶知安にかけての尻別川,ニセコの山々,羊蹄山が展開する車窓は素晴らしい。右にも左にも見るべきものがあり,どちらの車窓が良いとは言えない。

●運行系統

長万部−小樽間を走破する列車は上り5本,下り7本と少ない。蘭越,倶知安,然別,余市からは小樽方面への区間列車が出ている。また一部の列車は札幌へ直通する。
臨時列車では秋にSLニセコ号が,冬にはニセコエクスプレスが運行されている。また,最近は寝台特急の北斗星が山線経由で運転される機会も増えている。

●利用状況

概して混んでいる。定期的な利用は蘭越・ニセコから倶知安に向かう通学利用と,仁木・余市から小樽・札幌に向かう通学通勤利用が多い。その他,函館と小樽の間を移動する場合,札幌を経由せず,長万部で特急と普通列車を乗り換えて山線を経由する人たちもかなりいる。また休日には一日散歩きっぷを持った人達が特定の列車に集中し,混雑することがある。長万部発の最終札幌行きはたいていガラ空きでのんびりした汽車旅を楽しめるが,小樽からどっと通勤客が乗ってきて雰囲気が壊れる。

●車両

キハ40形700番台とキハ150形0番台が使用され,単行または2両編成で運転される。単行の比率が高い。また,1997年3月に車体傾斜装置付きのキハ201系が蘭越−小樽間に投入された。3両1ユニットの固定編成で,小樽から先の電化区間では731系電車と併結運転を行う。札幌1752発の倶知安行きニセコライナーは201系6両編成。

 

それでは,函館本線その3各駅停車の旅をお楽しみください

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