| 山部 | やまべ | 無人駅 | |
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富良野市字山部市街地 | ||
| 明治33年12月2日開業 | |||
| 標高223m | 326人 | ||
| 交換駅(対向式) | |||
| 滝川より66.7キロ 布部より5.8キロ |
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| 右手にコンビニ | |||
| 2002.4.29下車 | |||
右手には北の峰から芦別岳,夕張岳へと連なる山が素晴らしい。富良野線から見える優美な十勝岳連峰とは対照的に,切り立った険しい山容である。芦別岳は登山家にも難度が高いことで知られている。
まわりは主に水田。ハウスではたぶんメロンを作っているのだろう。列車からは気づきにくいが国道38号を走るとメロンの直売所が林立している。水田農家にとってもメロンは大きな収入源になっている。左手に木の生えていない赤茶けた山が見える。これが石綿(アスベスト)鉱山でもう廃鉱となって久しいが,発破の爆音が市民の語り草となっている。
石綿鉱山に続く深い緑の山は,東京大学の演習林だ。一名樹海と呼ばれ,一般の人の立ち入りはできない。
空知川を渡って山部市街に入る。標高は200mを越えた。滝川から66.7kmで194.7m上っているので平均勾配は3パーミル。穏やかに見える空知川もけっこう急流だ。山部から先はさらに険しさを増す。
![]() 石綿鉱山跡 |
![]() 空知川 |

秀峰・芦別岳を背にして建つ山部駅
根室本線は駅間距離が長いが,その昔はさらに駅の数が少なく,この周辺で開業当初からあった駅は富良野,山部,金山である。富良野駅を核として形成されたのが島ノ下,布礼別,麓郷で,山部駅を核として形成されたのが西達布,老節布,東山の市街だといえる。
山部地区はほぼ全域を北大第8農場と東大演習林で占められ,かつては「大学村」といわれていた。いずれにおいても入植者は小作で農業を営み,大正時代には豆景気で活況を呈した。「北の国から'83冬」では笠智衆が豆景気でひともうけした老人を演じている。
山部村は大正4年に下富良野村(現在の富良野市)から分村して成立,昭和40年に町制を施行し,当時人口6800人を要した。しかし,同41年3月までに申請があったものに限り,人口3万人以上あれば市制を施くことができるという新市町村建設促進法のもと,富良野町が積極的に合併運動を展開,山部町内では反対意見が強かったが,同41年5月1日,富良野町と山部町が合併し富良野市が誕生した。
駅は駅前広場もしっかりしており,国道沿いには往年の雰囲気を残す立派な商店街が残っている。山部市街は農産物の集積地であるほか,車窓案内で記載したようにかつては野沢石綿鉱山の城下町であり,また大本教北海別院の門前町としての一面も持っている。
駅舎はヨーロッパの山小屋風で,1988年に建てかえられたもの。芦別岳登山口の最寄り駅ということでそういう意匠になったようだが,この駅から山に登る人はいるのだろうか。利用者数は多いが,ほとんどは高校生だ。山部にあった富良野農業高校が1999年に富良野市街の緑峰高校に吸収されたので,現在の利用者はもっと減っていると思われる。
![]() レンガ造の危険物庫 |
![]() かつての急行停車駅の貫禄を残す構内 |
駅の真西,3.5km。芦別岳の登山口にある自然豊かな公園。特別なにもないが,私は子供の頃から何となく好きで良く行く。フィールドアスレチックもあるので家族連れには特におすすめだが,列車で訪れる人はいないだろう。レストランもある。ラベンダー畑はけっこう大きく穴場といえる。キャンプも人気あり,無料。(2001.8訪問)
▽ふれあいの家
レストラン。少しだかお土産もある。
1100-2100 GW-10月営業 第2・4月休

国道38号を帯広側に約4km。桜の名所で,振り返ると樹海の間から正面に芦別岳が見えて絶景。(1999.5訪問)

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