| (廃止)中徳富 | なかとっぷ | 無人駅 | |
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樺戸郡新十津川町字花月 | ||
| 昭和31年11月16日開業 | |||
| 標高26m | 人 | ||
| 単線 | |||
| 桑園より73.9キロ 下徳富より2.4キロ |
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| 1998.5.3下車 | |||
下徳富から線路が道路と並行になる。振り返ってみると札沼線は札幌を出てからずっと道路と無関係に我が道を歩んできたが,ここでようやく北海道らしいすっきりした車窓となる。国道275号が基線で線路に沿っている道路は西1線となる。
北海道の開拓はすべて屯田兵により行われたと誤解されることがよくあるが,北海道の開拓史において屯田兵は極めて特殊な制度に過ぎず,実際に内陸部の開拓を進めたのは,明治19年以降北海道庁によって選定された殖民地に入植した一般移住民であった。明治22年の奈良県十津川村から新十津川への団体移民はその代表的存在である。殖民地選定事業と車の両輪をなす区画測設は,この十津川移民を機縁として始められたもので,欧米の土地制度を参考にして区画を設けて移民に土地を貸し下げたのである。区画測設では区画の基本となる基線の方向を定め,ついでそれに交わる基号線定め,さらにそれらと平行に300間(約545m)ごとに区画道路を設定,この1区画を中画と称した。中画9個で大画とし,中画を6等分し100間×150間としたもの,すなわち5町歩(5ha)を小画とし,これを農家1戸分とした。そして300〜500戸で一村と仮定し,その予定地には道路,排水渠敷地,保存林のほかに市街予定地,学校,病院,神社,寺院,公園,墓地,火葬場などの敷地が設けられた。
道路沿いには農家が続いている。この景色はちょうど富良野線の西中付近と似ている。下徳富駅のあたりは純粋な稲作地帯だったが,また転作田が増え,ハウスで花卉の栽培も行われている。
近年待合室が撤去された。道内でもこのように雨宿りする場所がまったくない駅というのはいくつもないはずだ。こんなところでも「学園都市線」の立派な駅名標がたっているのがおかしい。利用者が少ないことにより,2006年3月17日限りで廃止された。
特になし。
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