石勝線

西早来(信) にしはやきた 信号場
勇払郡安平町西早来
昭和56年10月1日開業
標高59m 
2線
南千歳より11.7キロ
駒里(信)より6.3キロ

●駒里(信)→西早来(信)の車窓

一直線に駒里信号場を通過する。左手の牧場の木陰には,アルファコンチネンタルエクスプレスの姿が見える。アルファコンチネンタルエクスプレスは全国初のリゾート列車として昭和60年2月に登場,大きなフロントガラスに6つものワイパーが並んだ大胆なデザインは大きな注目を集めた。札幌・千歳空港からトマム,サホロへのスキー客を乗せ,石勝線20有余年の歴史にさん然と輝く銘車であるが,1995年10月に惜しまれつつ引退。その後しばらく苗穂工場に留置されていたが,2002年10月,先頭車両が競売にかけられ,石勝線を行くアルコンを毎日眺めていたという駒里の牧場が落札した。今は子どもたちのための体験農場の施設として余生を送っている。
まもなく駒里の牧歌的風景とも別れ,列車は山間へと進む。トンネルを1つ抜けると,そこは西早来信号場である。

●西早来信号場

もし駅であれば「第二小幌」とでも呼ばれそうな,トンネルに挟まれた信号場である。ここは始めから信号場として計画されており,周りに人家はまったくない。馬追丘陵南部の陸上自衛隊東千歳駐屯地と安平駐屯地に挟まれたところで,山は深く,紅葉が素晴らしい。

石勝線の停車場の配線について

石勝線は近代鉄道技術を結集して建設された線であり,あらゆる面で機能を追及した設計となっているが,当初停車場の配線に1線スルースタイルが採用されたのも画期的だった。これは停車場の有効長に150mの過走余裕距離を加えることによって,列車の同時進入時の安全を確保するものである。ところが昭和48年に至って,当時の事故の傾向から,やはり両開き分岐器によって上下別線とし,安全側線により当時進入を図ることとなった。こうして結局は従来型の安全側線方式によって開業したのであるが,1997年3月の特急スーパーおおぞら運転に伴い,各停車場で再び1線スルーに改良された。なお,この西早来信号場と廃止された鬼峠信号場はトンネル内分岐のため昭和48年の時点で配線の変更が不可能で,当初から1線スルースタイルをとっている。

●北海道鉱業鉄道金山線について

国鉄の路線計画の歴史から見ると,白石から分岐して広島経由で追分に達する追分線が,千歳空港分岐に路線変更し,夕張線,紅葉山線,狩勝線と合わせて道央と道東を結ぶ石勝線を形成したということになるが,石勝線の原点は北海道鉱業鉄道金山線にあるように思う。当時,室蘭港はライバルである小樽港に対抗するために,十勝・釧路から函館本線を経由せずに直接室蘭に貨物を輸送する鉄道を欲しがっていた。そこで早来から厚真,占冠を経て根室本線の金山に至る鉄道を計画した。これはまさに石勝線のルートである。ところがいざ測量を始めて見ると,やたらと山間部を通り,技術的・コスト的に困難であることがわかり,沼ノ端分岐で鵡川,辺富内(のちの富内)を経て金山に至るルートに変更されたのである。
ちなみに辺富内への鉄道は後の富内線で,国鉄により戦後日高町まで延伸されたが,金山には到達せずに終わった。沼ノ端分岐としたのは,当時から室蘭と苫小牧は折り合いが悪く,苫小牧駅を分岐とすることができなかったからである。その後北海道鉄道は社長が室蘭人からライバルだった小樽人に交代し,今度は苫小牧と小樽を連絡することに力を注ぐようになり,沼ノ端から分岐する札幌線(現・千歳線)が建設されることになった。沼ノ端付近の奇妙な分岐にはそうした力学が働いているのである。

●見どころ

下車できない

駒里(信) 北海道駅前観光案内所 追分