虎杖浜越後盆踊り

訪問日:2007年7月28日(土)

場所:白老町白老港インカルミンタル前(元気まちしらおい港まつり会場)

苫小牧と室蘭のほぼ中間の海岸沿いに位置する虎杖浜(こじょうはま)は,江戸期から漁場として栄えた地である。越後盆踊りは明治40年頃,新潟県北蒲原郡から移住してきた人々によって伝えられたとされており,小樽高島の越後盆踊りと同じ系譜を持っている。

平成2年に虎杖浜越後盆踊り保存会が結成され,踊りを昔の形に復元して保存,小中学生を指導して地域に普及,伝承している。平成12年には道内の越後盆踊りとしては初めて町の無形民俗文化財に指定された。毎年虎杖浜生活館前の盆踊りで踊られているというが,今回訪問したのは,元気まちしらおい港まつりの中で郷土芸能として披露された際のものである。

踊り手は2列に並んで祭り会場の入り口を出発し,メインストリートを行進型で進んだ後,ステージの前で輪踊りに移った。踊りの後半では一般の人たちも輪に加わっていた。郷土芸能の披露というと,ひととおり演じてたった数分で終わりということが多いが,ここでは持ち時間の30分間を使い切り,イベントとはいえそれなりに熱のこもった盆踊りを見られたのは良かった。

ただ,踊りの先頭でマイクを持って囃子言葉をがなり立てている人物がおり,これがせっかくの伝統芸能を半ばヨサコイ化し,胡散臭いものにしていたのは惜しまれる。歌詞はバラエティに富んでいたが,発音が不明瞭で聞き取り難かった。やはり,歌詞が意味をなさなくなった時点で「伝統」の名が冠せられることになり,形骸化した伝統芸能は一度ヨサコイのようなものに触れてしまうと,もろくも形が崩れてしまうのであろう。この点,まだ艶を保っている北海盆唄による盆踊りがそれ自体ヨサコイ化することは考えられないのとは対照的である。

踊りについては,唄の部分を静かな踊り,間奏の部分を動きの激しい「幸代寺踊り」で踊り分けしているのは,高島や石狩と同じである。唄よりも間奏のほうが長く,太鼓と横笛のお囃子がずっと続いている中で,たまに唄が入るという印象である。手をこねくり回した踊りは波と波がぶつかり,渦が巻くのを表現しているという。

ルーツは新潟の新保広大寺節にあるというが,いまレコードで聴くことのできる新保広大寺節とはあまり共通点がないように思われる。ただ,七七七五調で北海盆唄と同じ歌詞で唄うことができること,アレサ式盆踊り唄の形態をとっていることから,北海盆唄とは根底でつながっているはずで,新保広大寺を源流とした同じ潮流の中に両者が存在していると言うことはできそうである。

北海盆唄の歌詞を流用して唄の型を示すと次のとおりである。[  ]内に七七七五調の詞がはめこまれ,カタカナ書きの部分は歌詞や歌い手により若干の差異はあるが,基本的には同じ型で唄われていた。

イヤーハーエー [ほかい] [めいぶつ] [かずかず]コラ[あれど]ヨー
[いちに]ナーイヤ [おいわけ]ヤ [おいわけ]ヤ 
コレサ [ぼんおどり] ヤーレ
[いちにおいわけ] コレサ [ぼんおどり]

越後盆踊り動画(4.8MB)