ふるさと歌志内納涼盆踊り

訪問日:2013年8月20日(火)

場所:歌志内市公民館広場

歌志内市は,道内でも最も盆踊りが盛んな土地の一つである。人口当たり(2013年7月末の人口4,098人)の盆踊りの数の多さ,北海盆踊りの原型であるべっちょ踊りが色濃く残っていること,古風な四角錐台型の櫓を基本とすることなど,他の市町村とは一線を画している。

この年,歌志内で開催された盆踊りは,把握できただけで下表に掲載のものがあった。ふるさと歌志内納涼盆踊りは,例年8月19日,20日の2日間,盆の最後を飾るオール歌志内盆踊りの位置づけで,盛大に開催される。

2013年度の歌志内市内盆踊り日程(判明分)
8月12日(月) 神威地区盆踊り
8月13日(火) 神威地区盆踊り
8月14日(水) 中村盆踊り大会,上歌納涼子供盆踊り,文殊新泉町内会盆おどり大会,チロルの盆踊り
8月15日(木) 中村盆踊り大会,上歌納涼子供盆踊り,文殊新泉町内会盆おどり大会,楽生園盆踊り
8月19日(月) ふるさと歌志内納涼盆踊り
8月20日(火) ふるさと歌志内納涼盆踊り

 

2012年ポスター 2013年ポスター

主催は本町地区納涼盆踊り実行委員会となっている。

歌志内神社 本町商店街 旧空知炭鉱倶楽部

本町地区は,かつて国鉄(のちのJR)歌志内線歌志内駅があった市の中心部である。空知地方最後の坑内掘り炭鉱として1995年まで稼働していた空知炭鉱の本拠地でもあり,会場の近くには歌志内神社,本町商店街,旧空知炭鉱倶楽部など,炭鉱文化華やかな頃を偲ばせるものがある。

  

櫓は歌志内では一般的な四角錐台型である。古来の木造櫓の様式を,鉄骨造でもあえて踏襲しているわけである。

なお,上の写真のうち,左の2枚は2012年8月20日の撮影で,当日は雨天中止となった。2012年には櫓の上部に歌詞が張り出されており,北海盆唄の歌詞から「あの娘よい子だ……」と「浜は大漁で……」の2つ,ほかに「ミヨちゃん」の歌詞が書かれていた。しかし2013年には右の写真のとおり,「ミヨちゃん」歌詞の最後の部分を残して,なくなっていた。

 

協賛には,本町第一町内会,本町第2町内会,本町川向町内会,東光町内会,歌神川向町内会,歌神市街町内会,歌神町内会,三十世会が名を連ねていた。個人・企業の協賛者は櫓下に張り出されていた。

会場内には子供向けの売店がいくつか出ていた。中には神威町内会青少年部の出店も見えた。ビアガーデンでは手伝いの人たちが総出で焼き鳥の串刺しをしていた。ただしビアガーデンと言ってもささやかなもので,あくまでも盆踊りが主役である。

子供盆踊り 18:00〜19:30

子供盆踊りはまだ明るい18時に始まった。最初はかなり子供たちが少なく,18時半ころ役員が「今年最後の子ども盆踊りです。たくさんの参加を心からお願いします」と呼びかけた。

輪の中で踊りを先導するのは,子供たちから見るとお爺さんの年代に当たりそうな男性陣だった。踊りの中で男性の存在が目立つのは,歌志内の一つの特色であるように思う。振り付けは本来のものと何点か異なるものの,歌志内型ともいえるこの地域らしいしっかりとした踊りを見ることができた。音源は子供盆おどり唄の持田ヨシ子盤とタンポポ児童合唱団盤の両方が使用されており,タンポポ児童合唱団盤→持田ヨシ子盤→タンポポ児童合唱団盤の順に使用された。

子供盆踊り動画(持田ヨシ子盤,5.6MB)

子供盆踊り動画(タンポポ児童合唱団盤,5.4MB)

19時23分,終了。子供たちはその場にしゃがみ,「おやつ係」の役員によって手際よくお土産が配布された。お土産はお菓子がたくさん入った袋詰めで,見ているだけの子どもや太鼓の奏者に配ってもまだ余ったため,2つ受け取っていた子供たちもいた。

19時半から弥六太鼓の演奏が始まった。この間,櫓の上では抽選の準備が行われた。

19時42分,「抽選盆踊り」の説明が始まった。踊った人には参加賞として,タオルが配布され,その中に入っている番号札が抽選券となる。

オール歌志内抽選盆踊り・仮装盆踊り 20:00〜22:00

19時48分,予定より少し早く大人盆踊りが始まった。はじめは太鼓だけで,唄い手がおらずどうしたものかと思ったが,舞台上でおもむろに法被に着替えていたのが,数日前に中村の盆踊りの唄を担当していた方だとしばらくして気付いた。

そして唐突に,「アードーコイドーコイドーコイナット」と威勢の良い掛け声がかかった。何事かと驚くと,「今ちょっとマイクのテストをしました」と説明があった。日本式のマイクテストとはこうするものかと感心した。続いて,相方の女性が「コラサット」とマイクを試した。

「今年最後の盆踊りです。よろしくお願いいたします」との挨拶に続き,いよいよ唄が始まる。「アードーコイドーコイドーコイナット,エンヤーコーラヤット,ドッコイナーットドッコイショー」と,まるで発動機が始動するかのように囃子言葉で勢いをつけた後,北海盆唄の歌唱が始まった。

唄い手は自分用の歌詞カードを持ち,交代のときには譜面台の歌詞カードも差し替えていた。また,櫓の鉄骨には「ばち」の収納が設けられており,櫓自体が楽器のように扱われていた。櫓の足の叩く部分のみ塗装が剥げていたので,いつもそうしているのだと思われる。手持無沙汰に太鼓のばちで櫓足場をカンカン叩くのは好ましく思わないが,このようにきちんと叩くのは悪くないと思った。

櫓の上には,市内各地域の盆踊りの歌い手が,集まってきた。総勢6人がマイクを手にし,うち3人が唄を担当していた。20時半には,例年神威地区の盆踊りで唄を担当している女性が到着。例によって「馬に蹴られて死んでしまえ」など強烈な歌詞を次々に繰り出し,踊りの輪はいよいよ活気づく。太鼓も飛び跳ねるように叩いていた。

踊りは,かなり標準型に近いものの,べっちょ踊りの名残が見られ,踊りの後半には,一部の踊り手ではあるがべっちょ踊りそのものも見ることができた。

なお,唄は北海盆唄のほか,中村盆踊り大会でも歌われていた「ソーラン節」,また歌志内,赤平,滝川方面で唄われることの多い「ミヨちゃん」が挿入されていた。いずれの唄い手も,民謡関連団体の所属ではないと思われ,それだけに土のにおいがする生きた盆唄を聞くことができた。

オール歌志内抽選盆踊り・仮装盆踊り動画(ミヨちゃん,5.1MB)

オール歌志内抽選盆踊り・仮装盆踊り動画(ソーラン節,5.0MB)

オール歌志内抽選盆踊り・仮装盆踊り動画(北海盆唄,終盤にべっちょ踊りの踊り手あり,7.0MB)

この日唄われた北海盆唄の歌詞は次のとおりである(ほかに音声不明瞭により聞き取りできなかったものが5つあった)。

北海名物 数々あれど おらが国さの 盆踊り
五里も六里も 山坂越えて 逢いに来たのに 帰さりよか
唄え踊れよ 叩けよ太鼓 月の世界へ 届くまで
ちゃんこ茶屋の婆 お茶出せ茶出せ 煙草盆出せ キセル出せ
入れておくれよ かゆくてならぬ 私ひとりが 蚊帳の外
高い山から 谷底見れば 瓜や南瓜の 花盛り
主が唄えば 踊りも締まる 櫓太鼓の 音も弾む
唄に誘われ 太鼓に引かれ 今来たこの道 二度三度
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
○○○良いとこ ○○○○○○○ 小さな町でも ○○○○○
空の星さえ 夜遊びなさる わしの夜遊び 無理もない
旅のお方も 遠慮はいらぬ 一つ輪になれ 盆踊り
波の花散る 津軽の海を 越えて蝦夷地へ いつ来たか
盆が来たのに 踊らぬ者は 木仏金仏 石仏
若い二人の そろいの浴衣 恋の花咲く 盆踊り
団扇片手に 涼みの浴衣 行こうか踊りに 広場まで
お釈迦様でも ○○○○○○○ ○○○○○○○ 盆踊り
踊り踊れよ みんなで踊れ 今日は仏の 供養踊り
唄え踊れよ 叩けよ太鼓 月の世界に 届くまで
わたしゃ浜っ子 荒波育ち 色の黒いは 親譲り
してもしたがる 爺様と婆様 今朝もしてきた 野良仕事
赤いパラソル 伊達にはささぬ 日除け虫除け 男除け
カラス鳴く鳴く お寺の屋根で カラスその日の ○○○○○
娘十七八 やりたい盛り 親もさせたい 針仕事
栗の山から 大きな栗が 出れば踊りの 輪が太る
月はまんまるだよ 踊りもまるい わしとおまえも まるい仲
高い山コから 谷底見れば 瓜や茄子の 花盛り
姉と妹に 紫着せて どれが姉やら 妹やら
今年や豊年 穂に穂が咲いて 道の小草に 米がなる
揃ろた揃ろたよ 踊り子が揃ろた 秋の出穂より よく揃ろた
踊り見に来て 踊らぬやつは 馬にけられて 死んでしまえ
娘十七八 させたい盛り 親もさせたい 針仕事
※「○○○」は音声不明瞭により歌詞不明

仮想盆踊りは21時半まで続きた模様だが,列車の時間があるので21時過ぎに会場を後にした。赤平駅までの移動をお願いしたハイヤーの運転手さんは,先日中村から砂川までをお願いしたときと同じだった。もともと歌志内の方だというが,歌志内の盆踊りが他の地域と異なっているという認識はないという。地域の人たちが意識しないままに,古来のべっちょ踊りがほぼ歌志内にだけ残っているのは不思議なことである。