昭和・北海道地図資料館

最新詳密北海道道路地図

昭和45年 地勢堂

2冊目の冊子判道路地図帖。祖母から受け継いだものだが,書き込みから見ると父が使用していたものと思われる。地勢堂は札幌に本社を置く地図出版社で,現在は昭文社などに押されてまったく劣勢であるが,この地図はなかなかできが良く,3年前の昭文社ニューエストに比べると,格段にレベルが高い。地名,観光地,峠名は現在の地図よりもむしろ詳しい。
表紙の写真は国道230号・無意根大橋である。中山新道はこの年開通したばかり。無意根大橋は当時としては珍しい大規模な曲線橋で,高度な技術が用いられている。私がはじめてこの橋を通ったのは1995年,大学1年の研修旅行のときだった。子供の頃からこの写真を見て憧れてきた橋を通ることができたのは感動だったが,担任の先生(当時北大土木の構造力学講座助教授)が無意根大橋の設計に携わったという話を聞けたのはもっと感動的だった。


中山峠1/300000
完成したばかりの中山峠新道。定山渓鉄道は昭和44年11月1日廃止だから本来この地図からは消えているはず。


夕張1/300000
夕張も最盛期は過ぎていたが,まだまだ元気だった頃。1000トンあるいは2000トンもの石炭を積んだ石炭列車が一日何本も出ていた。夕張鉄道は峠を3段スイッチバックで越えていた。


富良野盆地1/300000
国道は全線舗装されており,一見すると現在の地図とあまり変わらないが,よく見ると国道の路線がかなり変わっている。上富良野市街を国道が通っているが,昭和63年バイパス化。上富良野市街の北で国道が線路を2回渡っているが,この部分は昭和35年に改修されているはずである。中富良野市街の北側で国道がクランク形になっているが,これも現在は緩いカーブに改修されている。また国道237号は富良野市の手前,学田付近で富良野線の踏切を渡り,さらに根室本線の踏切を渡って本通に入っている。
滝里ダムにより空知川沿いの国道38号や根室本線が付け替えられたのは最近のこと。


美瑛1/300000
この10年くらいで丘のまちとして全国に知られるようになった美瑛だが,観光客などまったく来なかった頃の美瑛の姿がここにある。地名は現在の地図よりも詳しく載せられているが,五稜,瑠辺蘂などは戦後に疎開者や海外引揚者が入植したところで,現在までに多くが離農している。この当時美瑛町内には,美瑛,旭,美馬牛,美沢,明徳,美進,東瑛,置杵牛,美田,二股,西美,宇莫別,五稜,俵真布,千代田,北瑛,忠別,美園,美聖,美開の20の小学校があった。五稜小の児童数は昭和34年114人,昭和43年36人というから,その過疎化ぶりがわかる。五稜小は今でも残っている。
美瑛市街の国道路線が現在と異なっている。


鴻之舞1/300000
かつて産金量日本一を誇った金山。最盛期の昭和35年には6000人以上が住んでおり,この頃でも1000人以上はいたはずである。昭和48年閉山。以後完全に無住地となり,現在は林の中に廃墟と記念碑が残るのみ。


陸別町川上1/300000
現在はかろうじて線路と駅だけ残っているが,ほとんど人は住んでいないところである。この当時でもかなり過疎化が進んでいたはずで,地図にはまだ川上の近くに信濃,富野,大曲,日宗などの集落名が見えるが,実際どれだけの人が住んでいたのだろうか。国道は川上駅の西側を通過しているが,現在の地形図には跡形もない。完全に廃道化しているのだろう。


釧路市新富士1/21000
雄別炭鉱鉄道と鶴居村営軌道が複雑に分岐している。

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