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6. いざ鬼峠へ

●2007年3月18日(日) 6:30 双民館にて

6時起床。みんな遅くまで飲んでいたので,少々お疲れ気味。集合時間に10分遅刻してしまったが,まだ誰も来ていなかった。

おはようだベアー。

朝食には観光協会Kさんがお腹に優しい雑炊を作ってくださり,みんな元気復活。昨夜料理隊の人達が作ってくれたおにぎりと,これも大好評だった元ニニウ住民Hさんの揚げイモを背嚢に詰めて出発だ。

●8:00 道の駅自然体感しむかっぷ集合

今日の参加者は25名。昨日のフォーラムを聞いて,さらに4名増えたというのは嬉しいこと。

ガンビさんとガンビさんのお母さんは,当初は体力的な不安もあって車でニニウに向かう予定だったのが,交流会で郷愁の思いを一層強くしたようで,結局スノーシューで峠を越えることになった。ニニウの学校で同級生だったHさんも一緒に挑戦するという。ともに中学1年まで鬼峠を歩いて越えていたという2人の奥様方に加わっていただいて,今日は充実した峠越えになりそうである。

今日はまず中央の道の駅からバスに乗って,約1.5km西方の鬼峠登り口に向かう。そこからスノーシューを履いて二代目の鬼峠を越え,ペンケニニウ川沿いの林道に出た後,石勝線橋梁下まで南下し,そこで昼食とする予定である。実際に歩く距離は約8kmである。

 

只今の気温,プラス0.4℃。風もなく最高の日和だ。右の写真に見えている山のいちばん高い部分が初代鬼峠で,標高697メートル。

●8:20 道の駅出発

バスで鬼峠登り口へ向かう。途中,長谷川さんが見送りに駆けつけてくださった。

鬼峠登り口に到着。ここでスノーシューや脚絆を装着する。

スノーシューとはいわゆる「かんじき」で,この数年爆発的なブームになっている。特に練習しなくてもだれでも気軽に冬山トレッキングを楽しめるということで,幅広い年齢層に人気がある。

さすがはトマムリゾートを擁しているだけあって,レンタル用のスノーシューやストックも特別に無料で揃えられた。

●8:37 出発

いざ,鬼峠へ向けて出発。二代目鬼峠は昭和4年から昭和35年までの30年あまりにわたって,ニニウの人達が生活のために歩いた道である。米を1俵背負って峠を越えたり,荷物を満載にした馬車を何度もひっくり返しながら,5,6時間もかけて越えたり,あるときは中央で映画を見るために走って2時間で越えたり,そんな様々な歴史が染みこんだ道を,今日我々は身をもって体験する。

 

今日は山本さんをはじめ,トマムの細谷さん,西村さん,自然写真家の門間さん,リトルトリーの大野さんと,本職の自然ガイドの方々が何名も参加している。

一方でスノーシューがまったく初めてという参加者も多数おり,それで8kmの峠越えに挑むのだから,けっこう大変なことである。雪崩の危険もないとはいえない。

たびたび休憩を挟み,ストックは長過ぎないか,靴下にシワができていないか,汗をかくようだったら上着を脱ぐこと,体力を消耗しないよう前の人の踏み跡を歩くことなど,ガイドの方々は参加者に細やかなアドバイスを与えていた。

万が一の事故に備えて,足の速いテレマークスキーの部隊も参加していた。また,主催側の人達は,重そうなリュックを背負っていたが,これもテントや非常食を運んでいたのだろう。ニニウ側では携帯電話が使えないので無線機も複数台携行していた。

さらには,この歴史的なイベントを記録するために広報しむかっぷや北海道新聞社の取材陣も峠越えに同行し,まったく万全の体制である。

8時52分,登り口から500メートル地点に到達。休憩時間を含めて15分で500mというペースである。

カーブミラーを利用して記念撮影。

峠の占冠側は5年ほど前に「ふるさと林道鬼峠線」として整備されている。ところがガンビさんのお母さんは,どうもむかし通った道と違う気がするという。道路の改良で多少線形が変わっているとはいえ,今歩いている道路が二代目鬼峠をほぼ忠実にたどっていることは間違いない。しかし,ガンビさんのお母さんによると,旧早見宅前に出るこの道のほかに,もっと学校寄りに出る近道が存在し,そちらをよく使ったのだという。その道が初代鬼峠を指しているのかどうかはわからないが,中央とニニウを結ぶ峠道が複数存在したことは確かなようである。

 

後ろのほうを歩いていると,誰かが除雪してくれたのかと勘違いしてしまうくらいきれいな道がついているが,前方はまっさらな雪原である。

9時45分,占冠市街を望む。かなり高いところまで登ってきた。ここで約10分間の大休憩をとった。

愛犬くまとともに常に先頭を歩く山本さん。


7. 鬼峠の神髄