[ 館内ご案内 ] [ 地 図 ] ニニウのこれから 北海観光節

キャンプ場

●キャンプサイトと離農跡

 ニニウキャンプ場は1986年開設。まわりに店などない俗世離れした立地と,夜には天の川流れる満天の星空,まばゆいばかりの蛍の乱舞,熊にも会える大自然が魅力のキャンプ場で,アウトドア通には人気が高い。また,学校などの団体利用もされている。

 本物の自然が売り物のキャンプ場ではあるが,キャンプ場の敷地は離農地であって,かつてのニニウをしのばせる要素も見ることができるのである。。

500人収容という道内屈指の規模のテントサイト。おおむね芝生でところどころに白樺が生えている。ここは,古い地形図では畑になっている。作物が栽培されていたのか牧草地だったのかわらないが,営農のために裸地にされたのは間違いない。キャンプ場造成のために木を切り倒したのではない。白樺は更地になった後いちばん初めに生えてくる木であるから,離農後に成長したものだと思われる。かつてはここにも何軒かの農家があった。
サイクリングロード。左に見えるのは畑の跡で,まだ離農後10年程度しか経ってないものと思われる。ニニウにはさまざまな段階の離農跡が見られ,人間による大地への刻印がしだいに自然に還っていく様子がわかる。ここに人間と自然の関係を見ることができる。
キャンプ場入口近くの離農跡。ここは,昭和50年の地形図では水田の記号が付されている。後に畑に戻り10年程度前に放棄されたようだ。
ニニウは交通手段がなかったから作物を作っても容易に出荷はできなかった。気候は良く耕作敵地ではあったが,土地もせまく機械化もできず,日本が工業化するとき真っ先に離農者が出るのは必然だった。
それでも農家ならば米を作るのが夢である。ニニウでも米が作られたようだが成功するはずはなかった。

●オートキャンプについて

 近年流行しているオートキャンプ場。ニニウキャンプ場にもオート区画がある。オートキャンプ場とは「車をテントサイトまで乗り入れ,車の隣にテントを設営したり,イスやテーブルを使って団らんが楽しめるような形態のキャンプ場」と定義されている。オートキャンプ場は近年のアウトドアブームに乗って誕生したものであり,まさに都市型ライフスタイルを反映している。オートキャンプ場には水洗トイレ,シャワー,売店,コインランドリー,個別炊事場,AC電源,TV端子など至れり尽せりの設備をもっており,都会の暮らしをそのままキャンプ場に持ち込むことができる。(ニニウにはこういう設備は何もない)
 私は最初オートキャンプは,自然破壊を伴う都会人の勝手な娯楽だと感じていたが,あるサラリーマンのお父さん方が家族でのオートキャンプについて語り合っているのを聞いてから,オートキャンプには現代の諸問題を解決できる可能性があると考えるようになった。
 30代に見えるその方々は虫のことなどとても詳しいのである。そういえばここ10年でも蝶,トンボあるいはクワガタなどの昆虫はかなり減っていると思う。昔は昆虫採集が小学校の課題にもあったというし「虫博士」と呼ばれるような少年がたくさんいたはずである。しかし,私たちの世代になるともはや「虫博士」は出てこない。
 ファミリーキャンプの流行は,緑が少ない都会の生活の中で,少しでも子供を自然に触れさせようという親の願望の現れと解釈されることが多いが,実は子供たちのためというのは隠れ蓑で,親たちもまた都会の生活に息が詰まり,少年のころの失われた体験を求めているのではないだろうか。都会生活に慣れている子供が最初から自らアウトドアライフを望むとは思えない。しかし動機はどうであれ,子供たちにとってキャンプは刺激的な体験になるに違いない。天の川流れる満天の星空,蛍の乱舞,耳が痛くなるほどの静寂,熊や蛇への恐れなどは,都市における日常生活では得られぬものである。こういうところでは普段は会話をすることのないような家族も,自然と会話がはずむようになるものである。
 日常的に自然と付き合うのではないから「虫博士」「きのこ博士」などになるのは無理だろうが,キャンプ場を経験した子供たちは地球にも人にも優しく,強くたくましい人間に成長するのではないか,あるお父さん方の会話はそんな期待をもたせてくれた。

管理棟。すぐ後ろを高速道路が通行することになっている。今後どうなるだろうか。 管理棟横の案内板
バンガロー。電源付き。1棟1棟ユニークな名前がついている。 サイクリングロードの案内板


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