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ニニウと私 2000年

●2000.1.28 「ニニウへ急げ」完成

前年12月23日から制作に着手していたニニウのコーナーがひとまず完成した。1月7日にYahoo! JAPANに登録されたものの,トップページへのアクセスはまだ一日20件〜30件に過ぎなかった。それでも「ニニウへ急げ」掲載早々から予想以上に大きな反響を得ることができた。

●2000.1.30 にきちさんよりメールをいただく

このころニニウと密接な関係がある道道136号夕張新得線がインターネット上で話題を呼んでいた。この道道は夕張側と新得側双方に未開通区間があり,特に夕張側は地図に道が描かれながらも実際には道が存在しないと伝えられるなど,謎めいた路線であった。

その夕張新得線を掲載したサイトに,妙に詳しい情報を投稿している人物がいた。その人が「にきち」さんである。

参考 「峠と旅」の峠情報8,「まゆげららのホームページ」の夕張新得線顛末記

これらのサイトの管理者を通じてにきちさんと連絡を取ることができた。にきちさんからはドラマ鬼峠の放送日のこと,夕張新得線,道東道,日勝赤岩線などについて非常に詳しい情報をいただくことができた。なおにきちさん自身,この年2月8日に夕張新得線のホームページを開設されている。

●2000.1.31 占冠村役場にホームページ制作の報告

「ニニウへ急げ」は,村の「ニニウ自然の国」構想を参考にしているため,役場にメールで報告しておいた。数日後,役場産業課の担当者から返事があり,村長も喜んでくださったとのこと。写真集「VILLAGE JAPAN」の使用承諾も得ることができ,2月11日「ニニウ写真館」のページを開設した。

●2000.2.22 道庁に北海道遺産提案書を提出

道では1997年4月に北海道知事で提唱した「北の世界遺産構想」をもとに,1999年から北海道遺産の第1次選定候補を募集していた。ホームページの内容を北海道遺産提案書としてまとめ,道庁本庁と上川支庁の担当課に送付した。

応募総数約1万6千件,実数3366件で,応募のあった物件はすべて道のホームページに掲載されたが,ニニウは「自然」分野に分類されていた。提案書では産業遺産,歴史遺産としての価値を訴えただけに,自然遺産と扱われたのは残念だった。

●2000.3.2 愛媛の男性よりメールが来る

ホームページを見た愛媛県の方からメールが届いた。中学校で38年間社会科を教え,3年前に退職したというから,60過ぎの方だろう。

「絵はがき的風景に自然の美しさを感じるのもよいが、意識を一歩前進させて大自然の中にある人の営みに美しさを感じてほしい」
そのとおりだなあと思うし、その視点で見ていこうと思いました。「ニニウへ急げ」をプリントアウトして読み返しました。あの写真も訴えるものがありますね。私も「ニニウへ急ぐ」ことにしました。
そして、北海道の原風景を少しでも感じることができたらいいなあと思ってます。 ニニウへ行って、どうすればそれを感じることができるか、お教えいただいたらとメールしたわけです。ホームページから十分わかるのですが、ニニウへ行ったらこうしなさいとアドバイスいただければありがたいです。
ニニウへは富良野から行き、サイクリングセンターで一泊する予定です。季節は6月下旬です。
占冠村のホームページもみました。「占冠の四季」も注文してしまいしました。
貴重なそしてすばらしい情報をありがとうございました。
愛媛はもう春です。菜の花が咲いています。

このようなメールをもらったのは初めてだったので,地図に手書きで情報を書き込み,郵便で送って差し上げた。

後日,占冠物産館2階の郷土資料室をのぞいたとき,受付名簿にこの方の記帳があり,実際にニニウを訪れたことを知った。ホームページを見た人が一人でもニニウを訪れてくれれば思っていたので,大変嬉しく思った。

●2000.8.9 ドラマ「鬼峠」のビデオテープを入手する

千春の家さんよりドラマ「鬼峠」のビデオテープを持っているとのメールがあり,早速送っていただいて見ることができた。まさかこうした形で15年以上前のドラマを見ることができるとは思ってもおらず,インターネットのすごさを実感した。千春の家さんに恩返しをするためにも早々にドラマについてのページを作りたかったが,実際に掲載するのは5年近く後のことになる。

●2000.8.14 家族でニニウへ

お盆で実家に帰省していたとき,両親とどこかへドライブに行こうという話になった。当時私は車を運転することができず,ニニウに行くにはだれかに頼むよりほかに仕方がなかったので,ニニウに行きたいと言った。親はホームページのことなど知らないから不思議に思っただろうが,ともかく15年ぶりに両親とニニウを訪ねた。ニニウではレンタサイクルを借りてキャンプ場のサイクリングロードを一周。両親はそれだけ疲れてしまい車の中に退散していった。15年の月日の長さを実感した。

お盆のためキャンプ場は大盛況だった。

 

道道沿いに残っていた廃屋4棟のうち,2棟が倒壊していた。村のニニウ自然の国構想でもこれらの廃屋は工房として利用する計画だった。これでもうニニウ自然の国構想も北海道遺産選定も難しくなったと思った。あとはもう自分のできることとして,人間の生活の跡が自然に還り,高速道路が建設で変わっていくニニウの姿を末永く記録にとどめておこうと心に誓った。

高速道路予定地のほうは昨年から変化なし。杭が設置されているだけで着工はしていなかった。帰りは占山亭で食事,下トマムから幾寅峠,西瓜峠をまわって上富良野に戻った。

●2000.10.21 れんがもち氏とニニウへ

ホームページのほうは7月から北海道駅前観光案内所にとりかかっていた。駅は必ず列車で訪れるようにしているが,信号場だけはどうにもならない。石勝線の紹介に向け,れんがもちさんにお願いして各信号場の写真を撮ってまわった。

清風山信号場の隣は東オサワ信号場で,ここも当初は新登川駅として計画されていた。信号場の近くに人家が1軒残るだけで,見渡す限り廃屋だらけのニニウ以上にすさまじい廃村だった。ここにも高速道路が通ることを知る。写真の長和小中学校は羊の牧舎として使われていたが,高速道路建設に伴い2004年に解体されることになる。

福山からニニウへの道道。昨年途中まで簡易舗装され,橋梁の架け替え工事が行われていた。これも高速道路建設のためだろう。舗装は通常の道道ではあり得ない安直なもので,既に路面が荒れ始めていた。

ニニウは2ヶ月前に訪れているため,余り時間をかけずに通過する。学童農園はトラクターできれいに耕されていた。

赤岩ゲート。日勝赤岩線は相変わらず通行止め。付近では測量が行われていた。

レクの森入口。ふるさと林道鬼峠線の開設工事が,上川支庁発注,6月9日〜12月20日の工期で行われていた。


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