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ニニウと私 2002年

●2002.1.23 占冠駅にて

この日は釧路から旭川へ向かう途中,占冠駅で下車した。占山亭で食事をしたあと,中央の図書館を訪ねた。

村の広報を見ると,高速道路の建設準備は着々と進んでいる様子。村内を通過する高速道路のうち,ニニウ地区についてはいち早く10月19日に村と道路公団千歳工事事務所との間で設計協議が終わったとのこと。

村の生徒を対象にした模擬議会で,道道夕張新得線の赤岩トンネルについて質問している生徒がいた。

●2002.5.5 ニニウ訪問

1998年から工事が行われていた「ふるさと林道鬼峠線」が通れるようになったので,この日初めて鬼峠に車で上ってみた。

鬼峠
ふるさと林道鬼峠線は2代目鬼峠を改良した林道で,12%勾配,急曲線の連続する険しい道だった。しかし鬼峠の真髄は峠からニニウ側の現在廃道となっている区間で,何年か前までは無理をすればオフロード系の4輪自動車でニニウまで下ることができたというが,上ることはできなかったという。
標高約650mの鬼峠付近。舗装された林道から右手に分岐していく廃道がニニウに下る道と思われる。
鬼峠付近から占冠市街を眺望する。峠付近は乱伐のためか木があまり生えていなかった。その中でわずかに生き残った大木が威容を誇っていた。
鬼峠には道央と道東を結ぶ送電線が2本通過している。1本は北電のものでもう1本はでんぱつのもの。峠にはでんぱつの中継局があった。
十勝方面へ延びる送電線。占冠は国境の村である。正面の山には石狩,十勝,胆振,日高の4箇国境が接している。

 

レクの森
ふるさと林道は鬼峠で旧道と別れ,今度は延々急坂を下っていく。行き着いた先はレクリェーションの森(通称「レクの森」)だった。
レクの森は昭和51年に開設されている。同じ年にニニウの林間学校も開設されており,鬼峠トンネルの竣工で急激に過疎化が進行したニニウ地区に対し,村が盛んに振興策をとっていた頃の産物である。かつてはテントハウスに緑と黄色の派手なシートが張られており,それが道道からも見えたような記憶がある。
近年はゲートが閉まっておりほとんど利用されていないようだが,きれいに芝が刈られ,新しい建物もいくつかあった。年に1度か2度のイベントのときだけ使用しているようである。

 

ふるさと林道はレクの森の下で道道に接続しているが,ここのゲートが閉まっていたため,もう一度鬼峠を越えて延々中央方面に引き返さなければならなかった。

赤岩青巌峡
  
赤岩橋の手前には赤岩トンネルの巨大な建設基地ができていた。
建設基地のトイレ内に張ってあった完成予想図。赤岩青巌峡のいちばん良いところを潰すような形になっている。この道路の建設意義というのは,道東道のトマムIC〜十勝清水IC間が先行して開通した場合,国道274号と占冠を短絡するというもので,夕張IC〜占冠IC間が開通した時点で役目は終えるのである。このほんの何年かのために,何百,何千万年もの時間が作り上げてきた自然の景勝を台無しにしてしまってよいものだろうか。

存在は知っていたが熊が怖くて歩いたことのなかった赤岩遊歩道。この日初めて歩いた。400mほどの短い遊歩道で何のことはなかった。
この頭上に橋梁が架かることになる。正面の岩肌には木々がへばり付くようにして生え,紅葉の時期には赤岩橋とのコントラストが見事だったのだが。

 

赤岩ゲートは開いていた。看板に通り抜けできないと書いてあるが,この先ニニウまでゲートはないはずなので,もしかしたら行けるのではないかと期待を抱く。

やはりだめだった。ニニウまではもう1km足らずのところでゲートがあった。

やむを得ず占冠市街まで戻り,日高町,福山経由でニニウを目指す。この経路だとニニウまで約60kmある。あとで思えば,ゲートから徒歩で強行突破した方が早かったのではないか。

ニニウ
道道西側の廃屋2棟はまだ完全に倒壊してはいなかった。流し台に手押しポンプだけが誇らしく直立していたのが印象的だった。付近の畑はこの年もきれいに耕されていた。通いで耕作を続けているのだろうか。占冠からの道路が通行止めというのにどこから通ってきているのだろう。
道道東側の廃屋2棟は健在。周辺はきれいに草が刈られ,道路沿いに街路樹が植えられていた。この整備はいったい誰が何のために。
廃屋内部。総2階建てで床の間もある立派な家だった。
 
廃屋の中にはニニウの歴史がぎっしりと詰まっていた。「峠」は村の文集,「小さな芽」は新入小・中学校の文集。昭和40年代後半には石勝線の工事でニニウに鉄建公団の建設所が設けられたため,新入小・中学校は技術者の子弟達で最後の賑わいを見せていた。そのため作文の内容も山の中の学童にしては意外と都会的に感じられた。

 

ニニウ自然の国遊歩道
ニニウ沼とニニウ山を巡る遊歩道。この日初めて歩いてみた。
ニニウ山の登り口には「自然の知る思索の丘(考房群)」の看板があり,ニニウ自然の国マスタープランにあった6房群が一部実現していたことを知る。しかし登山道は笹藪に覆われ登頂はできなかった。
ニニウ沼。天然の沼なのか人工のため池なのかはわからない。
遊歩道の途中には休憩小屋がいくつかあった。通る人は滅多にいないだろうに意外と良く整備されていた。林は細い木ばかりだったが,巨大な切り株があちこちに残っていたのが印象的だった。かつては樹齢何百年という大木が生い茂っていたのだろう。
途中1本1本の木にビニルテープで印が付けられている場所があった。この遊歩道も近いうちに高速道路で寸断されてしまうのだろう。

 

キャンプ場
昨年1年間閉鎖してリニューアルし,立派なオートキャンプ場に生まれ変わっていた。

●2002.7.29 ニニウのGさんからメールをいただく

ニニウの学校からペンケニニウの林道を400mほど入ったところに真新しい一軒家がある。その家にお住まいのGさんからメールが届いた。断りもなく勝手な思い込みでニニウのページを作っていることへのお叱りのメールかと思ったが,そうではなかったので良かった。

1991年からニニウに住み,サイクリングターミナルにお勤めだったとのことで,今は福山を回って占冠の会社に通勤しているという。ニニウ神社はまだ祠が残っているとのこと。一度ご挨拶にうかがわなければ。

●2002.8.9 ニニウキャンプ場閉鎖

前線による大雨の影響で,福山側の道道も通行止めとなり,ニニウが再び孤立した。8月9日の北海道新聞には「上川管内占冠村ニニウでは道道夕張新得線一・二キロの通行止めで孤立したニニウキャンプ場を,九日閉鎖する予定」。と掲載された。リニューアルオープンしたばかりなのに,お盆の書き入れ時を前にして閉鎖とはまったく不運だ。

●2002年10月 札幌車掌所から清風山信号場のオレンジカードが発売される

札幌車掌所はこの年4月から路線探索シリーズのオレンジカードの発売を開始した。第1弾として石勝線,札沼線,千歳線の各駅が毎月1〜2駅ずつカードになった。石勝線の信号場もカードにするとはなかなかやってくれたものである。しかしあまり売れ行きがよくなかったのか,初め800枚限定発売だったのが後に500枚限定となり,石勝線,札沼線,千歳線の完結をもってシリーズは中断している。

●2002.11.10 道東道の建設メリット全国13位に

石原行革担当相がクマ発言で一騒動を巻き起こしたのは前年11月14日のことだった。

「北海道である政治家の人が造ってくれといって造った高速道路で,300キロのヒグマと車がぶつかった。車がヒグマにぶつかったのか,ヒグマが車にぶつかったのか後で調べたら,車の台数よりヒグマが高速道路を横断している回数の方が多かった」

後にこの発言は撤回されたが,結果的にこの発言は道東道建設の機運を逆に高めてしまうことになった。これまでうやむやのまま建設が進められてきた高速道路が,これを機に必要性を精査され,その結果道東道のトマム−十勝清水間は全国でも13番目に高い建設メリットを有するという結果が出た。道東道はたしかに現状の開通区間では用をなさないが,日勝峠を回避するという点では大きなメリットがある。そのことを皆に気づかせてしまったのだ。


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