北海観光節小さな旅行記「北の国からと石勝線30周年」

「北の国から」と石勝線30周年 その2

このあたりは石が多く,掘れども掘れども石が出てくるという場所である。畑のいたるところに石が積み上げられていたが,「石の家」がドラマに出た後,石を購入する業者が現れ,だいぶん片付いたという。石は立米当たり5000円で買い取られるというが,参加者の多くの反応は,「そんなにするのか」というものだった。私はもっと高くても良いと思った。

五郎の石の家

石の家では,特別にゲートが開けられ,バスで「五郎さんの最初の家」の前まで乗り付けた。運転手の機転によるものだが,これは余計なお世話だと思った。

 

「五郎さんの最初の家」。「北の国から」放送25年を記念して,平成18年に復元されたもの。もともとは,昭和20年から38年まで農家として使用されていた住宅の廃屋だという。

本物の農家だった当時,家の中では輓馬馬と同居していて,馬の体温で意外と暖かかったのだという。いや,寒かったのには違いないが,火や,馬の体温,日差しの暖かさが実感できて,住んでいる人は「暖かいね」とよく言ったのだという。

 

放送当時の熱気伝わってきて懐かしい。

 

「'95秘密」で五郎が建てた石の家。現在は内部も見学できるようになっている。

ガンビを焚き付けにしてストーブに火を入れるガイドの野村さん。麓郷は木が豊富なので,今でも薪ストーブを使う人が多いという。たしかに富良野の金物屋さんでは薪ストーブをたくさん売っている。薪は苦労して用意したものだし,使いすぎると春になって足りなくなるので,自然と節約の心が生まれるし,だからこそ太陽の暖かさも本当に実感できるのだという。今日は単なるロケ地巡りではなく「黒板五郎の流儀」バスツアーということだが,このあたりがその真髄だろう。

ロケセットゆえに,裏側は木造でまったく違う表情を持っている。建物内部の撮影は,東京のセットで行われることが多かったというが,この石の家に関しては,ごく一部のシーンを除いては内部も現地で撮影されたそうだ。撮影の前にはスタッフで1週間ぐらいここで生活をして生活臭を出し,スタッフ自身,五郎さんの生活の実像に迫っていったそうである。

五郎さんの愛車,日産ジュニア2000。

 

今日が放送開始記念日だからかどうかはわからないが,けっこうな観光客で賑わっていた。

連続ドラマの五郎の家があったのが,石の家と麓郷の森の分岐点付近にあるこの場所だという。観光化されておらず,建物は跡形もないが,言われてみればたしかにここだという雰囲気はあった。

拾って来た家―やがて町

11時40分,麓郷市街地の拾って来た家に到着。ここには,今年9月,放映30周年の記念モニュメントが建立された。碑には黒板五郎の「遺言」が刻まれている。

 

言われなければ気づかなかったロケ地,「中畑畜産株式会社」。

富良野駅にあったツーリングトレインもここに運ばれていた。

北の国からの最終作「'02遺言」のロケ地。廃棄物を使って建てられた4棟の建物があり,すべて内部見学ができる。正面に見えるのは,ドラマ終了後に建てられた「純と結の家」。

 

「雪子さんのアトリエと住居」。これは「'02遺言」で使用されたもの。スキー場のゴンドラや,タクシーの窓が使われている。

私は建物にあまりこだわりを持たないほうだが,「拾って来た家」の建物群には,正直言って嫌悪感を覚える。物はやはり本来の目的で使われた姿こそが美しいと思う。実際,例えば,スキーのゴンドラはガラスが一枚なので冬寒いだけでなく,フレームに日があたると,夏は火傷するほど熱くなるという。

同じような意味で,屋根の緑化も見苦しく思う。草木は本来,地べたで育つもの。屋根の上で不健康に育つ草木が痛々しい。

ガイドの野村さんも「廃材を使うのはユニークだが,意外と材料として使えない。廃材を使うよりは新しい材料を長く使うほうがもちろんいいと思うが,これはあくまでも物を大切にするというもともと日本人にあったはずの心がどんどん失われているのではないかという象徴の建物。真似するときには相当の覚悟を持ってやっていただきたい」とおっしゃっていた。

物を大切にする心を伝えるなら,こんな無理なやりかたをしなくても,連続ドラマで,捨てられていた自転車に持ち主が現れて警察が取り返しに来たのを,五郎さんが抵抗するシーン,あのシーンだけで十分ではないか。

 

それでも,室内はなかなか雰囲気が良かった。

 

正彦とすみえの家とバイオガス発電機。シャッターを屋根にしているが,シャッターは水平にしたときの防水性がまったくないので,全面コーキングで何とかしのいだという。

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