利尻路

利尻空港

利尻空港

礼文空港との格差に驚く。1999年に滑走路を1800mに延長しジェット化された。稚内空港へはプロペラ機が2往復,新千歳空港へは夏季のみジェット機が1往復している。

利尻空港でHさんと再開。今度は反時計回りに島を一周することにする。

町界

利尻島には基本的に川がない。あっても豪雨時や融雪時のみ水が流れる枯れ川である。火山のため水が浸透しやすいのだろう。そして浸透した水が湧き出ているところが名水スポットになっているわけだ。
それでも水が流れていなくても川は川であって,川が利尻町と利尻富士町の境界を形成している。


橋の名は「境橋」

トビウシナイ川

ここからは利尻町である。利尻富士町と利尻町はどっちがどっちなのかまぎらわしいが,利尻富士町はかつて東利尻町を名乗っていたことを思い出せば位置関係はわかる。ただ「利尻島」と書かれたパンフレットを両町でそれぞれ出しているのでわかりにくい。

新湊小学校

へき地4級,児童12,教員7

校庭にやたらと記念碑が多い。礼文,利尻を通じて最も学校らしい学校だと感じた。古くは美也古呂小学校といって明治31年に開校している。


沓形発電所。島は基本的に自給自足である。電気についても小さな火力発電所3つでまかなっている。

会津藩士の墓

文化4年(1807),ロシア人が襲撃し,鴛泊や本泊で運上屋,番屋,家屋が焼き払われるという事件が起きた。幕府は会津藩に警備を命じ241人の藩士が配置された。しかし不慣れな土地での生活で多数の犠牲者を出し,島内に藩士の墓が何基か残されている。


もっと地味なところかと思っていたが,すっかり観光地化していた。利尻に歴史を求めてくる人はあまりいないと思うが,こうして歴史的スポットが観光化されるのは好ましいことだと思う。

沓形中学校

へき地4級,生徒67,教員11


略称・沓中(くつちゅう)。


沓形にあるHさんの仕事場。立派な建物だ。

次へ