2003年8月21日(木)
今晩は毛馬内盆踊りを見物することにしている。昼間は適当に観光すればよいのだが,時刻表を見るとちょうど良い時間のバスがあったので途中,田沢湖,乳頭温泉,玉川温泉に寄って毛馬内へ向かうことにする。
7時半頃ホテルを出て駅に向かう。今日は平日であり,通学時間帯と重なって何百人という高校生とすれ違った。
1時間弱で田沢湖駅到着。
田沢湖は憧れの地だった。小学生の頃から東北の地図を見て,ぽっかりと口をあけた湖に神秘的なものを感じていた。
立派な駅舎。
対照的に寂れきった駅前。これは意外だった。軽井沢とか美瑛のような華やかな観光地を想像していたのだが。
バスに揺られて10分ほどで田沢湖が見えた。日本一深い湖ということで深い青色を想像していたが,実際はオンネトーのような鮮やかな空色の湖だった。
このバスは田沢湖畔バスターミナルを経由して乳頭温泉へ向かう。田沢湖はあとでちょっと立ち寄ることにして,まず乳頭温泉に向かうことにする。
秘湯ならば乳頭
乳頭温泉郷には鶴の湯温泉,休暇村田沢湖高原,妙乃湯温泉,大釜温泉,蟹場温泉,黒湯温泉,孫六温泉の7つの温泉宿があり,それぞれがかなりの個性派である。いわゆる「秘湯」の代表的存在で,中でも鶴の湯は別格である。バスで終点まで行けば6つの温泉は歩いて1時間で回れる距離にあるのだが,鶴の湯だけは少し離れたところにある。鶴の湯に行かずして乳頭温泉に行ったということにはならないので,今回何としても鶴の湯には行きたかった。
しかし「鶴の湯入口」のバス停からは3kmもある。次の「鶴の湯温泉旧道口」からなら1.5kmくらいだが,この道が通れるのかガイドブックやインターネットで調べてもはっきりしなかった。
鶴の湯入口で1組の夫婦が降りようとした。すると運転士さんは「ここからはかなり距離がありますよ。旧道口から歩いたほうが近いですよ。山道ですが道はついてます」と助言していた。どうやら旧道口から行けそうである。その夫婦と一緒に旧道口でバスを降りた。
鶴の湯温泉旧道口。運転士さんが心配そうにこちらを見ている。
さあ,鶴の湯温泉に向けて出発だ。
なるほど,しっかりと道がついている。とてもさわやかな山道だった。
鶴見岩展望台から樹海を見る。
ここでご夫婦と少し話をした。東京から来たそうで,鶴の湯には何年も憧れていてやっと来れたとのこと。しかし満室で泊まることはできず,昨日は麓の水沢温泉に泊まったそうだ。わたしが釧路から来たと言うと「それならまだ東京からのほうが近いわね」と言われた。たしかに東京からなら新幹線+バスの2本乗り継ぎでここまで来ることができるのだ。
鶴の湯峡
途中に鶴の湯峡という景勝があった。つり橋などもあって趣深い。
バス停から高低差で約90m下って,ここから上りになる。
ほどなく車道に出た。バス停は旧道口というが,今まで歩いてきた道が旧道なのではなくて,この道が旧道なのではないかと思う。
鶴の湯温泉
有名な構図。黒光りする本陣の間を進んでいくと,突きあたりに温泉がある。
駐車場には朝から車がたくさん。
有名な混浴の大露天風呂。みんな写真をバシバシ撮っていたのでわたしも失礼して1枚。混浴とはいっても男しか入っていない。
脱衣所の横にある「中の湯」でまず汗を落とし,露天風呂に入ってみる。あまり長く浸かってはいなかったが,たしかに得も言われぬいい風呂である。お湯は底から直接ぶくぶくと湧き出し,オンネトーの景福と似た味のする硫黄泉である。
その後,別棟の内風呂に入ってみる。アルカリ性の黒湯と酸性の白湯があり,それぞれあまり大きくない浴槽なので隙間を見つけてちょっとずつ入る。
![]() 越屋根のついた建物が内風呂。この裏手に女性用の露天風呂があるようだ。 |
平日の朝だからまだこの程度の混み具合だったが,休日になるとこんなものではなくて,入浴をあきらめて帰る人もいるという。入れただけでも良かった。
事務所。ここで入浴料(400円)を払う。当然自動販売機はなく,ジュース類は流水で冷やしていた。「乳頭の夢」という饅頭と「ずんだ柿」というお菓子を買った。
先ごろ出版された昭文社の『週刊日本の名湯No.3 乳頭温泉郷』で作家の高橋克彦さんが興味深いことを書いている。
「都会に暮らしていればランプの湯とか山の中の一軒宿という言葉に魅せられるのも分かるけれど,私は岩手の盛岡に住んでいる。自然が豊かな町だからことさら静けさや素朴さを求めたいとは思わない。逆に千人入れるような風呂があって,デパートに匹敵する土産品コーナーを有し,深夜までラーメンや鮨が食える不夜城みたいな宿がありがたい。」
わたしには高橋さんの言っていることがとてもよくわかる。もう20年位前から秘湯ブームが続いているが,秘湯というのはもっぱら都会人の趣味なのである。秘湯のいちばん重要な条件は,人の生活の臭いがしないことである。周りに住宅や店や学校があってはいけない。
都会の人というのは田舎を知らない。田舎や農村は通過していきなり秘境に来てしまう。都会の人が田舎を知らないこと,すなわち,自分たちの食べているものがどうやって作られているか,電気はどこで作られてどうやって運ばれているのか,自分たちの出したごみはどこに運ばれていくのかなどを何も知らずに生活していることが人類の将来を暗くしている元凶ではないかと,わたしは思っている。
話がややずれたが,いわゆる秘境のそうした印象からすると,鶴の湯温泉はわたしの趣味からは外れるのではないかと心配していたが,実際訪れてみるとまったく素晴らしいところであった。髪を伸ばしたり髭を生やしたりして,いかにも我がまま気ままに生きていますという風な人はおらず,皆慎ましく,心から満足して温泉に浸かっているようだった。今日は平日のため熟年層と学生が目立ったが,学生たちも「いい湯だあ」としみじみしていた。建物もお湯も本物であり,訪れる人も紳士であるこの温泉こそ,本物の秘湯と言えるだろう。
これで「お前,秘湯に行ったことはあるか」と言われたら,自信を持って「はい,あります」と答えられる。