北海観光節旅行記秋の湯殿山・尾瀬

13. 湯殿山休息所

一杯清水のすぐ近くには砲台跡があった。戊辰戦争の時に庄内藩が新政府軍の攻略に備えて構築したものだという。

細越峠から20分ほど下ると,比較的なだらかな土地に出た。ここに注連寺と大日坊の賄い小屋があったといい,笹小屋跡と呼ばれている。

笹小屋から湯殿山の参籠所まで「豆腐道」と呼ばれる近道がある。近くに苦汁となる鉱泉があり,笹小屋で豆腐を作ってこの道で参籠所に届けていたという。明治の話である。

今日は豆腐道を行かず,本来の参道を目指す。

 

続いて寺跡。いくつかの石碑が倒伏したままになっていた。山形,本道寺方面からの道も近づいてくるこのあたりは,交通の要衝として賑わっていたことがうかがえる。

 

梵字川をH鋼で渡る。

梵字川を渡るとすぐに,明治14年建立の湯殿山碑があった。ほかにも由来不明の並んでいる。

 

六十里越街道と湯殿山参道の分岐。鶴岡方面と山形方面からの街道がここで出会い,湯殿山へ向かう。

湯殿山本宮参道とはいえ,草の生え方から見て,現在この参道を歩く人はかなり少なさそうである。

途中の薬師小屋跡。大日坊系の賄い小屋があったといわれ,石積みのみ残っている。

湯殿山有料道路を横断する。

15時34分,ザンゲ坂に差し掛かる。急坂のため,歩く行者たちの姿が懺悔をしているように見えたことから,この名が付いたといわれる。実際のところ,坂としてはそう険しいものではないが,これまでの峠越えで疲労した中での最後の上り坂のため,かなり体に応える。

15時45分,いきなり視界が開け,大きな鳥居が見えた。

「この時間,徒歩にての参拝はできませんので,参拝の方はバスに乗ってください」との放送が繰り返しかかっているのが聞こえた。

そして,バスは出発していった。

湯殿山本宮へは,ここからさらに徒歩で20分かかる。車道とは別に,沢沿いに小さなお宮が並ぶ道があるのだが,一般の参拝客は立ち入り禁止となっていた。この道こそが,即身仏を志した一世行人の修業した仙人沢であるという。

 

湯殿山本宮行きのバスは,16時が最終だった。乗車券を求めようとすると,今から行っても,時間がないので参拝はできませんよと言われた。

ここまで来て,湯殿山に参拝できないとは,あまりにも悲しいことである。

それでもかまわないからと,何とか頼み込んで乗車券を売ってもらった。下りの最終が16時30分発とのことで,20分以上の滞在時間がある計算となり,ひょっとして参拝できるのではという期待もあったのである。

休息所には,湯殿山レストハウス,仙人沢売店,大鳥居茶屋という3つの店舗が入っていた。

 

昼は田麦俣で,パンを一つ食べただけである。食事もしたかったが,時間がない。

せめて団子でもと思ったが,背広の新米社員が慣れない手つきでたれを塗っている始末で,とても食べる気にはならない。

結局,饅頭ひとつで我慢することとした。

仙人沢16:00発→湯殿山本宮16:05着 湯殿山本宮参拝バス 湯殿山本宮行き

 

バスの乗客は4名程度。結局,私と同じ考えで,バスに乗る人もいたようである。

帰りのバスまではまだ45分もあるが,月山から下ってきたのであろう登山者が大勢階段に座り込んでいた。人目をはばからない極彩色の集団は,ヨサコイを思い起こさせるものがあったが,参拝客と行者,登山客が混然一体としているのが,出羽三山の特質でもあろう。

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