根室本線

島ノ下 ( しまのした ) 信号場

  • 所在地:富良野市字島ノ下
  • 開業日:1913(大正2)年11月10日開業
  • 標高:164m
  • 配線:2線
  • 路程:滝川より49.1キロ,野花南より13.9キロ
  • 最終乗降日:2017.3.3下車

●野花南→島ノ下信号場の車窓

野花南を出ると国道と交差。2019年11月この陸橋にトレーラーに載せられたショベルカーのアーム部分が衝突する事故があり,2か月以上にわたり代行輸送が行われた。これより先,空知川の幽谷に入っていく。左手にストーンサークルがあり,説明板が立てられている。野花南駅から歩いてもそんなに遠くないので訪れてみたいが,この辺は熊は多い。

車窓両側に山が迫ってきたころ,左に旧線の路盤を分ける。滝里ダム建設のため1991年10月22日に廃止された線路である。この区間は空知川の渓谷をΩカーブで縫うように走り,道内屈指の鉄道車窓だっただけに惜しい。

旧線が分かれていった少し先に空知大滝があった。この滝こそ空知の語源(ソーラップチ=滝のある川)となった滝であり,滝川~富良野間の鉄道建設を遅らせた難所である。アイヌの時代もこの先へは行かなかったと言われ,富良野への開拓者たちは空知大滝を避けるため旭川経由で入っている。現在は滝里ダムにより水量をかなり減らしてしまっている。

列車は滝を見ることなくトンネルに突入する。 線路がダムに沈むことが決まったとき,路線自体の廃止も懸念されたが,長いトンネルを掘削することによりかつての難所を切り抜けることとなった。トンネルは滝里トンネルと島ノ下トンネルが連接し1本のトンネルのようになっている。合わせた長さは約8.4kmで総工費145億円を要したという。なお線路切替により野花南~島ノ下間の駅間距離が3.0km減少し,改キロが実施されている。

滝里ダムは1999年11月11日竣工した道内有数のダムで,洪水調節,灌漑,発電などの役割を担っている。周辺は紅葉が素晴らしく,ダム資料館やオートキャンプ場などもあるが,残念ながら国道からしかアクセスできない。

島ノ下に至る途中,野花南駅から7.4km地点に滝里駅があった。路線開通当初からの駅で,もとは奔茂尻(ぽんもしり)と称したが,1946(昭和21)年滝里に改称。周辺は美しい農村地帯で,国道から川を渡ったところに駅があった。ダムに沈んだ滝里集落はテレビドラマ「北の国から’89帰郷」に美しく描かれており,駅も登場している。蛍が草太のバイクに乗せられて母親を見送った線路ももうない。約10分かかってトンネルを抜けると間もなく島ノ下だ。

●島ノ下信号場

利用者僅少のため2017年3月3日の営業をもって廃止された。山あいにひっそりと建つ駅の雰囲気を好んで訪れる旅人も多い駅だった。 駅舎は平岸,上芦別,野花南と同形,ホームは野花南と同じく千鳥に配置された対向式ホームだった。

駅周辺は小市街をなしており,駅の廃止後も北海道中央バスの高速ふらの号でアクセス可能である。

島の下は芦別市と富良野市の境界が入り組んでおり駅から400メートルも北に行けば芦別市である。開拓後しばらくは尻岸馬内川の流送を利用した造材が盛んに行われた。流送は川に堤を作り,貯めた水を一気に放流することにより原木を下流に送るもの。このときの水勢と木材のひしめきは壮観であったというが,鉄道の開通や野花南発電所の建設で支障をきたすようになり,大正の末には行われなくなった。

また,明治末期に鉱泉が発見され,富良野の奥座敷として賑わった時代もある。現在,温泉宿はハイランドふらの1軒となったが,ラブホテルが何軒か立地している。

ホームにあった名所案内。営業終了日に丁寧に取り外され,市の施設で保存されているという。
駅前には車両の通行できない小道が延びていた。
島ノ下駅の営業終了を記念し,ハイランドふらので開催された島ノ下駅展。
島ノ下駅に停車する最終列車。

●見どころ

□ハイランドふらの

徒歩15分。道道135美唄富良野線を札幌方面に少し進んで左に入る。入浴・宿泊施設は正式名称「富良野市農村環境改善センター」,1986(昭和61)年開業,2002年改装。単純硫黄鉱泉。敷地内に「ラベンダーの森」がある。

▲野花南
HOME
富良野▼